アメリカン・ホラーから見る社会
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僕はホラー映画がとても苦手です。
この記事では怖い話をするわけではありませんから安心して読んでください。
単なる映画と社会の分析です。

僕は日本のホラー映画はあまり見ません。
洋画でもサイコやスクリーム、ラストサマー等サスペンスホラーくらいです。
そんなホラー初心者の僕なのですが、アメリカに滞在したことで
何でホラー映画に日米の差が生まれ、人が何を恐れているのかに気づかされるました。

そもそも日米のホラーの差は、日本のものは精神的に恐怖に陥れるタイプでそれに対しアメリカのホラーはスプラッター(肉体的にダメージを与えられる)とよく言われます。
例にあげると、日本のものは鏡などに不思議なものが映ったりするパターンで
アメリカは、ジェイソンのように電動ノコをブンブン振り回してくる感じです。
(しかし、最近は日本のリメイクやM・ナイト・シャマランのような精神的なものも増えてきていますね)

この例からわかると思うのですが、日本の方が非現実的で、逃げようがない恐怖をあたらえられます。
ジェイソンも怖いですが、まだ実体として存在しているので逃げられるような気がします。
これが日本のホラーの方がはるかに怖いとされる要因だと思います。

でもこの恐怖、アメリカの田舎に滞在していたときに逆転したんです。
ジェイソンやスクリームの怖さが一気に理解できました。
実はアメリカのホラーの恐怖を導き出す一番の要因は”孤独感”なのです。

アメリカは日本とは比較にならない広大な国土に都市が点在しているので
どういうことが起こるかというと
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このように人が住むところは一部に限られてくるんです。
ちなみに僕が4日間滞在していたのは「牧場・畑」エリアにある果樹園で周りはブドウ畑ばかりで隣の家まで800メートルから1キロはありました。
もちろんその家にいくまでも夜になると街頭1つない真っ暗な道が延々と続きます。
(この環境は決して特別なものではなく、アメリカ人の大半の人はこういう環境で育ったり、滞在した経験を持っているんです)

こうなると孤独という恐怖感が自分の中に沸いてくるんです。
隣の家まで一キロもあると思うと、鏡に何かが映るというようなことよりも
家の外に変なものが来たらどうしようという方が怖いんです。
(このときの変なものとは、動物ではなくて変な人であったり、犯罪者だったり、
ジェイソンです。)

助けを呼んでももちろん誰にも聞こえませんし、パトカーを呼んでも時間がかかるので一人で逃げ切らないといけないと感じるのです。

これは移動中も同じで、車もたまにしか来ない道で、「ああ、ここで車が故障しちゃったらどうしよう」と思います。もし故障して車を待っている間に何か変なものに襲われるんじゃないかという気持ちになります。
ここまで来るとアメリカが銃社会なのも納得できました。

他の人が持っているからといって、なぜ一般の人まで銃を持ってしまうのか、
日本にいるときには理解できませんが、あの気持ちを味わうと銃を持つ理由も理解できます。

ただここで悲しい現実に気づかされました。
そのとき僕が恐れていたものは、孤独感から始まり、オバケを通して、最後は他の人を恐れていたんです。
つまり恐れているのは、オバケではなくて人間なんですよ。


銃社会への批判をテーマにした映画「ボーリング・フォー・コロンバイン」のなかでこんな印象的なシーンがあります。
それはマイケル・ムーア監督がカナダに取材に行くのですが、カナダはアメリカと同じような国土で、同じくいくつかの人種が一緒に生活して、同じく銃をみんな持っているのに、アメリカに比べて遥かに事件は少ないということです。
つまり孤独感や、人種がたくさん入り混じって生活していることだけが銃社会を生み出している原因ではないんです。

アメリカに恐怖の根本として存在しているもの。
それは建国の時から、他人を信頼できないという気持ちをみんなが持ってしまっているという
信頼関係の薄さからきてるのではないでしょうか。
それが、映画などにも反映されているんだと思います。
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by naomedia | 2005-11-23 21:14 | 映画
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