フォーマルな日本語とカジュアルな英語
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前回は教育をテーマに取り上げましたが、今回から
「日本とアメリカの文化の差」をテーマに3回の連載をしてみたいと思います。

僕がアメリカに滞在中、アメリカ人の知人が週末、僕を遊園地に連れて行ってくれました。
その帰りの車中で、その日一緒に遊んだ他のメンバーの話になりました。

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“面倒”と片付けてしまいましたが、その大本には若い人が敬語があると思います。
日本人はいつも敬語を話さなきゃいけないために
楽しい気持ちを共有したくても、どうしても心が開けないというところが
日本語には存在していると思います。

この感情の共有のいい例として、僕とその40代の知人との遊園地での会話があります。
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この会話だけ見ると20歳も歳が離れているとは思えないですよね。
こういうことができないため、日本人は同じ位の年頃の人と出かけたり、
遊園地に行くにしても40代にもなれば自分の家族と行くんだと思います。
他の家族を誘っていくこともとてもいいことなんですが、
二つの家族の間はやはり仲が良くないと、
敬語や気遣いが存在してきて、うっとうしくなってしまうのでしょうね。


このような気遣いがない分、英語の特徴として、
仲良くなるまでの時間がすごく短いと感じました。
日本語ではまず初対面のときに、必ず敬語から入ります。
このことによってまずお互いの間に垣根を作ってしまうのです。
そして、その垣根を取り払っていくのに時間がかかるんですよ。
先ほど例に挙げた、遊園地での会話だけを見ると、普段から仲のいい友人に見えますが、会話したのはほとんどこの日が初めてと言っていい関係です。
この人間関係を体験すると、英語はすごくカジュアルで便利な言葉で、うらやましいな~と感じてしまいます。


では、どうしてこんなにお互いの言語に差が生まれたのかと思い、ルーツを探ってみると
宗教に影響があるのではないかと感じるようになりました。

日本の文化は、約2千年前に中国で生まれ、飛鳥時代に日本に入ってきた
儒教に大きな影響を受けてきました。
儒教では年上の人(特に男性)を敬う「祖先崇拝」とことが大切とされてきました。
そして、この儒教には他人を敬う気持ちとして
「仁」というものが存在するのです。
またもう1つ、自分の心の中で思っている「仁」を外に表す行為として
「礼」というものがあるのです。この「礼」が現代の社会でも敬語として残っているのです。
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逆に英語はキリスト教など一神教の環境で作られてきました。
一神教においては、人の上に人は作らずという考えで、
神以外はすべて人間という考えに影響を受けてきたため、
敬語がない言語になったと考えています。(これはあくまで僕の意見です)


このように長年にわたって作り出されてきた言葉なので、使っている私たちは何も違和感持っていませんが、
アメリカ人の知人は敬語によって人の名前が変化することをすごく驚いていました。
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例えば上の図にもありますが、最初は必ず「○○さん」から入り、
年上だとわかるとそのまま「○○さん」を使い、同じ年とわかると「○○君」、女性なら「○○さん」を使う。そして年下だとわかるといつの間にか呼び捨てになる。
そして1番変化していくのが同じ年の人で、
仲良くなると苗字を呼ぶのではなく名前を呼ぶようになったり、ニックネームに変わっていったりするんです。
ここまではアメリカの知人にも理解してもらえたのですが
この先の説明がとても難しかったのです。

過ごす時間によって人の名前は変化しますが、
いくら同い年で毎日顔をあわせて会話していても、
ただのクラスメイトというように、すごく仲が良いという関係が成り立たない人には、
「君」や「さん」を使い続けますし、
職場では年上、年下を意識せずに、基本的に苗字+「さん」を使うことが
好ましいとされていたりと、これらのルールはとても曖昧なんです。
こんな曖昧なルールの中で、私たちは常に相手に気を使いながら生活をしているんだなと
アメリカ滞在中に気づかされました。

このように考えてくると、
海外ではみんなが自由に意見を言い合うのに
日本人はあまりそういうことをしないということも見えてきますね。
英語にはいつでも対等に話し合えるフィールドが、既に言語の上できているんです。
そのため、欧米のグループワークの手法をそのまま日本に持ってきても、
どこかぎこちなくなってしまうことがありますね。
ただ日本人が意見をあまり言い合わない、自分をアピールしないという理由を掘り下げていくと、実は儒教の縦関係の構造だけでなく、老荘思想の影響が強いなど、もっと他の要素が関係してきてしまうので今回は削りたいと思います。


このように日本語はすごくフォーマルな言語で使いにくさがありますが、
その曖昧さから、いつも相手に気を使うような日本人の人格や独特の繊細さ、
そして文化が生まれてきたと思います。

スイスのソシュールという言語学者の考えで、
「言葉とは社会的な約束によって決まっているというものがあるのですが、そのように社会(人間)が生みだした言葉を長年使ってくることによって、
今度は人の方が影響を受け人間性自体が変わっているのではないかと僕は考えています。

今回は「言葉」がテーマで難しくなってしまいましたが、次回はもっと気楽にショッピングの話を書きたいと思います。
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by naomedia | 2006-01-18 22:41 | アメリカ
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