子どもの頃にツリーハウスに憧れる理由
e0011904_22274528.jpg

今月号のTITLEを読んでいるとツリーハウスの特集が組まれていました。
その記事にも書いてありますが、多くの人が子どもの頃に一度は憧れたと思います。
私もその1人で、よくチラシの裏に木の上の家を何度も描いた記憶があります。
大人になっても、ツリーハウスと聞くとワクワクするものですが、
やはり子どもの頃の方が、憧れが強かった気がします。
なぜあんなに憧れたのか、子どものときの自分の記憶を辿りながら探ってみようと思います。

私が小学生だった頃、近くの山に、木の上に基地がある木がありました。
それは、私たちが遊ぶ数年前にどこかの中学生が作ったもので、ベニヤ板、ロープ、廃材を使って組み立てられた、3~4階の構造を持ったものでした。
家ではなく、単に床が木の上に作られていたものですが、この上に登って過ごした時間はとても楽しかった記憶があります。


e0011904_22343041.jpg遊ぶといってもただ登っているだけで何をしたわけでもなく、ただ木の上で過ごしているのが楽しかったのですが、唯一、大きなターザンロープがあり、
これはどんな自然公園に行っても出会うことがないような大きさで、しかも斜面でしたから途中からはどんどん高度が高くなり、本当に森の中の空を飛んでいるような感覚が味わえると楽しいものでした。
(言葉で書いてもイメージが伝わりにくいと思うので、記憶を頼りにスケッチを描いてみました。そちらを見てください。)
<スケッチを拡大する>


私が遊んでいたものは純粋なツリーハウスとは違いますが、壁がないだけで、魅力はほとんど同じだと思います。
木の上の空間は、普段の見慣れている世界を急に、非日常の空間へと変えてくれます。
ただ過ごしているだけで楽しいを引き出してくれるのがこの非日常的な空間で、そしてそれを作り出してくれているのが、木の高さなのです。
よく絵の中に描かれているはしごを見ると、なぜかワクワクさせられる気持ちを持つのですが、これはきっとはしごが日常から非日常への架け橋だということを体験として知っているからだと思います。



そして木の高さはもう一つの魅力を作り出してくれます。
それは、子どもだけの空間です。

大人になると、多くの人は木に登れなくなります。
まるで大人になると空を飛べなくなってしまうピーターパンのようにです。

私も子どもの頃はなんとも思わず木に登っていました。
正直、人より木登りに自信がありましたが、今は登ろうとは思いません。
登るという行動に魅力がなくなってきてしまったこともあるのですが、登るのが怖くなってきてしまったこともあります。
小さな枝の間を潜り抜けられず、細い枝に体重をかけることもできませんし、
落ちたときに「イテテ・・」の言葉では済ませてくれません。

大人になると登れなくなってしまうという状況の印象的なシーンは
「トム・ソーヤの冒険」の中にも登場します。
それは一緒に生活しているおばさんがツリーハウスの下でトムのことを怒り、叫びますが、登ってこられないのです。トムはそれを知っていて無視をしてしまいます。

このように、木に登るという行動が、子どもの頃に厄介でしょうがなかった大人たちを遮断し、
自分たちだけの空間を手に入れることができるのです。
最初は木登りだけを楽しんでいるのですが、もっと自由に動きたいと思うと、トムのようにツリーハウスが欲しくなってくるわけです。

これらがツリーハウスのことから、ツリーハウスに憧れていたのでしょうが、
自分が子どもから大人になるにつれて、あの憧れていた気持ちを薄れさせていってしまったのも、同じ理由からかもしれません。
でも、ツリーハウスの写真や絵を見ただけで、どこかワクワクさせられる気持ちが残っているうちは、きっと心の奥底にまだ子供の心が残っていると思っていますよ。
[PR]
by naomedia | 2006-09-27 22:58 | カルチャー・エデュケーション
<< サンフランシスコの青い空 オシロイバナ・コレクション >>