ずっと同じパッケージなので、慣れてしまいあまり気に留めることもなかったのですが、最近久々に手に入れ、食べ終わった箱が机の上に置かれたままになっていたときにこのパッケージの持つ強さに気づかされました。 普段雑誌などでパッケージのデザインとして取り上げられるのは、オシャレでかっこいいものや、シャンプーのTSUBAKIのようにコストをかけて差別化を図っているものにばかりです。 しかしこのパッケージは立方体の箱に2色(白ベースの箱では青色の文字が加わります)で印刷されているだけのとてもシンプルで安価です。しかしそれにも関わらず、存在感がある面白いものなので思い取り上げてみることにしました。 この箱を冷静に眺めてみると、パッケージで大切な商品名は小さく、1つの面のドットの中間に書かれているという控えめなものです。 私たちにとっては既にこのパッケージ=キャラメルと反射的にわかってしまいますが、初めて見たと考えるとどんなものが入っているのか、どんな味がするかも想像しにくいのでかなり大胆なデザインに思えます。 しかし視点を変えると駄菓子屋さんを訪れた子どもにとって、限られたお小遣いのなかでお菓子も買いたい、でも安いおもちゃも買いたいというニーズのどちらにも答えられ、子ども心をついたデザインなのかもしれません。 試しに食べ終わったこの空き箱の蓋を閉め、転がしてみるとちゃんとサイコロとして機能しているのでうれしくなります。 中身のキャラメルももちろんおいしいのですが、とはいえこの味が食べたい!というほど中身に惹かれるわけではありません。比較的、普通なキャラメルが一箱につき2つずつ入っているだけです。やはりこの商品が長い間残っているのにはやはりこのパッケージの持つ存在感が多くの人を惹きつけている結果だと思います。 今回はサイコロキャラメルという懐かしいものを取り上げてみたのですが、本当の懐かしさと、自分の子どもの頃に感じていたものにズレがあることにも気づかされました。 それは駄菓子屋さんで、ああこれは懐かしいなと思いこのキャラメルを手に取ったのですが、お店の人には 「そのキャラメルね、子どもはあんまり買わないのよ」と言われたのです。 自分では懐かしいと思い手に取ったものが子どもには余り売れていないということに不思議だったのですが、説明を聞いてわかりました。 「それ、一つで100円するでしょ。だから高くて子どもは買わないのよ。」 この言葉を聞いて本当の子どもの頃の記憶が蘇ってきました。百円玉一つを握りしめて買い物に行っていたころ、確かに私もこのキャラメルには手が出せずにいました。 あれ1箱で100円なら、10円のガムや、チョコ、イカそうめんなどをいろいろ楽しめるものをバランスよく買うとしていたのです。駄菓子のイメージの強いサイコロキャラメルも当時の私としては、スーパーなどで売っている一箱100円のチョコと同じく高く手が出なかったものだったのです。 小さな紅白の立方体を通してデザインの持つ力のことから、子どもの記憶も都合のいいように書き替えられてしまっていたことにまで気づかされ、うれしくも何かを失ってしまった自分に寂しさを感じる出来事でした。
by naomedia
| 2006-11-23 11:28
| アート ・ デザイン
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