カテゴリ:カルチャー・エデュケーション( 26 )
我が家のふくろうコレクション
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我が家にはふくろうの置物がたくさんあります。
珍しいものはあまり含まれていませんので、皆さんもどこかで見たことがある、またはご自宅の棚に置かれているものと同じものが写っているかもしれません。
このように一堂に集めてみると1つのモチーフでこんなに多種にわたるものが作れることが見えてきて面白いので取り上げてみました。


e0011904_1341551.jpgこれらのふくろうは、10年程前に母が気に入ったふくろうを見つけてはコレクションしていたものです。
以前はいろいろな所を探してようやく見つけることができるのがコレクションのする喜びだったようですが、最近ではふくろうをモチーフにした商品が多く出回り、簡単に手に入るようになってしまったことから集めるのをやめたと本人は言っております。

確かに、以前に比べるとふくろうをモチーフにした置物をよく見かけます。
ふくろうのプチブームなのかもしれません。
様々な観光地や小物を扱うお店で頻繁に見かけるようになりました。ただ犬や猫ではなく、ふくろうという特殊な動物が多いのはちょっと不思議です。
ふくろうと同じようなポジションにいる動物には、キツネ、リス、シカ、タカなどがいると思うですが、やはりふくろうのバリエーションは他の似た動物の追随を許さないほど多い気がします。
ちょっと暗い印象のある動物としては意外です。
でも視点を変えて眺めてみると、ふくろうが多くなる理由が見えてくるんではないかと私は思うようになりました。







それはふくろうがキャラクターにしやすいということです。
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絵を描くようになって気づくのですが、多くの人にかわいいと思ってもらえるキャラクターを生み出すのは本当に困難なことです。
キティちゃんをじっくり眺めてみると驚くほどシンプルな構成ですがかわいいと感じます。
しかしいざペンを握って猫のキャラクターを作ろうとしてもかわいいものはそう簡単には生まれてきてくれません。
キャラクター化すると、種類の多い猫や犬では象徴的な顔がなかなか見つからず、何の動物がモチーフなのかわからなくなったりしてしまいます。

そんな中でふくろうは、e0011904_1282671.gif
もともと目が大きいので、普通に書いた時点でキャラクターらしく見え、既に目が平面状の顔の上にあるので、とても擬人化しやすく、そしてこのような顔をしているのはふくろう意外に思い当たる顔がないのでキャラクター化しやすいと感じます。
現に右図のように円と三角形のみで構成された図形でもデザインされたものに見えてくると思います。


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このふくろうで起きている現象と同じようなことが起こるものにパンダがあると私は考えています。
パンダも目の周りが黒く大きくなり、しかもちょっとたれ目にみえ、そして特徴的な耳の形もかわいらしくしかもパンダ以外あのような耳の形も体の模様も持っている動物はいないのですぐに見た人はパンダだと認識できます。
もし機会がありましたら、駄菓子や小さなお店の看板に書かれているようなイラストを今度注意深く観察してみてください。きっとパンダが描かれていることが多いことに気づくと思います。
これはきっと、著作権や肖像権が厳しい世の中にあって、使用料が払えずキャラクターが利用できない商品や店舗において、もともとの姿をイラストにするだけで簡単にキャラクターになり、しかもかわいいという点で、パンダがよく使われているのだろうということに、デザインに携わるようになってから気づかされるようになりました。


今回、この記事を書くために我が家のフクロウの置物を数えたのですが、家の様々な箇所に置かれているので、結局いくつあるのかわからず、写真を撮影するのも途中で疲れてやめてしまいました。
おそらく置物の3分の1くらいが今回紹介できたもので、その他の絵や壁飾り、敷物なども含めると検討がつきません。
ただ、それらを撮影しないまでも眺めてみて感じたことは、同じくキャラクター化しやすいパンダはかわいい表情しか表現できませんが、ふくろうは、かわいい、りりしい、賢い、コミカル、間抜けな印象と、表情が豊かであることです。
とても人間らしく、眺めているとそれぞれ個性があって面白いのです。
もしふくろうのキャラクターと出会う機会がありましたら、どんな表情をしているふくろうなのかじっくり眺めてみると、そのふくろうの性格がわかって面白いかもしれませんよ。

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by naomedia | 2007-01-03 01:43 | カルチャー・エデュケーション
ジュウダイニュースの思い出
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年末になると、様々なメディアで今年起きた重大ニュースを振り返る特集が組まれていますね。このような重大ニュースの特集を毎年見るたび、私は一つの思い出が蘇ってきます。

思い出となった出来事が起きたのは私が小学校4年生のときのことでした。
終業式も終わり、教室で最後のホームルームを行っていたときに冬休み中の宿題についての説明がありました。
休み明けに提出しなければならないもののリストは、配布された学年便りのようなプリントに書かれていたので確認で終わったのですが、担任の先生はその説明のときにうちのクラスだけの宿題を出すと言ったのです。
その宿題とは
「年末になるとテレビや新聞で今年の“ジュウダイニュース”がよく流れますね。その中からどれでもいいので気になったものを1つ決めて、自分の意見などもいれて原稿用紙1枚くらいに書いてきてください」というものでした。
先生のその場の思いつきのように出された宿題のため、内容を黒板に板書もせず、口頭での説明を各自が学年だよりの余白などにメモをとったのですが、そのことがその後私を苦しめることになりました。

“今年のジュウダイニュース”という言葉を私は“今年の10大ニュース”と受け取りました。その説明を聞きながら、そんなにいろいろなところで発表される10大ニュースならそれぞれのメディアで選ばれる10個のニュースは違ってきてしまうのではないか?
先生はいろいろなところで発表された10大ニュースをどのようにして発表されていたと判断するのだろうと不思議に思いながら聞いていました。

それから冬休みが始まり、テレビでも新聞でも10大ニュースが発表されるのを見逃さないようにしようと思い毎日チェックしていたのですが、その年に起きた大きなニュースを振り返るものはあっても、10個の大きなニュースがランキングされたものとは出会うことができないまま、年を越してしまいました。

年を越えてしまえば、たくさん放送されていた大きなニュースを振り返るものも一気に姿を消してしまいます。その状況になった私は、自分は10大ニュースの発表を見逃したのだと愕然とし焦りに焦りました。
クラスのみんなが10個の中から一つ選んで書いてくるのに、自分は大きなニュースだったなと自分で心あたりのあるものを書かなければならなくなったと思ったのです。
もしそのニュースが他の人と違っていれば、自分だけその発表を見ておらず、適当に書いたことが先生にバレてしまい怒られるのではないかと不安でいっぱいでした。
そんなに不安なら仲のいい友達にでも、どんなものを書くのか聞けばいいと思われるかもしれませんが、時期が正月なだけに実家に帰っていたり、普段遊ぶ友達と遊ぶような機会もないまま冬休みが明けようとしていました。

悩んだ末、冬休みの終わりも近づき、年末の新聞を山積みの新聞の中から引っ張り出し、できる限り無難な記事を選び書きドキドキしながら提出した記憶があります。
結局、提出後どこかのタイミングで、10大ニュースではなく重大ニュースを言うことが周りの様子からわかり、自分の勘違いに気づきました。

もしあの時、先生が“重大ニュース”と板書してくれていたら何も問題がなかったのですが、意味までも良く似た同音異義語のおかげで私は冬休み中ずっと苦労させられたのです。

この時期に重大ニュースの特集を毎年見るたびに、そんな勘違いの一人ドタバタ劇がそういえばあったなーと思い出してしまうのです。
ただいまだに疑問に感じることもあるのです。
それはあのとき、他のクラスメイトは何も思わずに“ジュウダイニュース”を“重大ニュース”に素直に頭の中で変換できていたのだろうか?ということです。
最近、漢字の変換ミスコンテストで「回答案です」が「怪盗アンデス」になってしまい面白いという記事がありましたが、あのとき私以外にも実は口にしなかっただけで同じように苦労した人もいたのではないかと思うのです。
今となっては確認の方法もありませんが、思い出すたびに顔がほころんでしまう年末の思い出です。
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by naomedia | 2006-12-26 22:37 | カルチャー・エデュケーション
10年前の未来像と現在の日本
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先日、クローゼットを整理していると、1996年の9月号のNewtonが出てきました。この本は私が中学生のときに初めて購入したもので、本屋で見つけたときには日本にもこんな本があったのか!と感動しながら手にしたことを今でも鮮明に覚えています。


e0011904_2336289.jpgそんな思い出がたくさん詰まった一冊を、今回読み直してみると「日本の未来」という記事が熟成されて面白くなっていました。この記事は2100年までの未来を予想するという内容ですが、記事の多くは10年後までの予定やビジョンで構成されています。
この号からちょうど10年が過ぎた今、その頃のビジョンとその後の結果がどうなっているのかを調べながら深く読んでみました。









この記事は
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以上の9つの分野で書かれていますが、今回は
「首都移転」「高齢化」「通信」の3つを取り上げてみたいと思います。


まずは首都移転ですが、記事には
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と書かれていますが、国が多額の借金を抱える現在となっては、とてもバブルの匂いがする話となっています。結局2003年に候補地を絞り込めないという形をとり凍結されました。


2つ目は高齢化です。記事によると
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と書かれていますが、これは若干早まり2006年には突破してしまいました。このズレは、少子化が想像以上に進んだためではないかと思います。
”2007年までわずか10年余り。その間に何ができるだろうか”
と書かれていますが、悪くなった以外、結局打開策のないまま迎えてしまいました。


3つ目は通信網です。
ここまでは実現できなかった暗い話題になってしまいましたが、通信は予想を遥かに上回る結果となりました。他の分野の挿絵を見ると、いまだに夢いっぱいの絵に見えますが、この通信の挿絵だけは過去の絵に見えます。挿絵の携帯電話はとても大きいですし、電子手帳の液晶は白黒です。携帯と電子手帳が一体になりつつある現在、片手に携帯、片手に電子手帳というスタイル自体が時代遅れに見えます。本文には
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と書かれていますが、すべて2010年を待たずして実現しました。
私の家は光ファイバーではありませんが、電線には来ています。あとは光ファイバーの導入を我が家が決断すればいいだけなので、事実上届いています。
しかし、この地上通信の急速な発達と比べると衛星通信の進歩は遅く感じます。記事には98年から衛星電話のサービスが始まり、世界のどこでも通話が可能になると書かれていますが、予定通り98年に始まったものの翌年には倒産し、ようやく2005年になって復活しましたが、今や普通の携帯電話でも人の住む地域でしたら世界中ほとんどの場所で使える状態です。
90年代の風潮としてテレビを含み通信は、衛星へという流れがあり、鉄塔はとてもアナログに見えましたが、結局は基地を日本中につくり、テレビは第2東京タワーの建設予定など地上からという方向になりつつあります。

10年という短い期間でみたので、ずば抜けた変化をあまり感じなかったと思いますが、冷静に考えてみると10年前にはこうやってblogを通して簡単に多くの人に自分の意見を伝えることもできませんでした。
ネットに接続するときも「ピー・・」という発信音を待ち、写真のあるページにいくとPCが固まることもしょっちゅうでした。
私が子どもの頃夢見た、コンピュータが喋りながら車の行き先を案内することも、相手の顔を見ながら電話するテレビ電話も、好きなだけ写真がとれるカメラも、すべて家庭に入ってきたのはこの10年です。

今回は3つしか取り上げませんでしたが、この9つの記事を見ていて残念なのは、政府主導のものはうまく進まず、民間主導のものばかりが夢を実現していることです。
この記事を10年ぶりに読むことで、最近の「官から民へ」という風潮の根源に気づかされてしまった気がします。
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by naomedia | 2006-11-02 00:09 | カルチャー・エデュケーション
流れ星が奏でた音
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今回も前回取り上げた流星の話を書きたいと思います。複雑な内容ですがお付き合い下さい。(まだ前回の記事を読まれていない方は読んでからの方がわかりやすいと思います。)

あの流星を見たとき、実はほぼ同時かワンテンポ遅れて「シュー」や「パリパリ」又は「パララ」というような音を聞いた気がしたのです。
その音はまるで打ち上げ花火の「ヒュルルルー・ドーン・パララ」という一連の音の中のパララの部分と同じような音だった気がします。
最初は流星の音を聞いちゃった!と思ったのですがやはりそれは現実的ではありません。
前回の記事でも書きましたが流れ星が光る高度は70kmくらいで、もし真下に立っていたとしてもその距離は70km、実際は真下で見るようなことはまずありませんからそれ以上、離れているはずです。
気のせいで片付けてしまうのもつまらないのでいくつか自分なりに仮説を立ててみることにしました。


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まず流星の燃える音が届くのが本当に不可能なのかを考えてみました。
もしこの流星が私の真上で光っていたとするならば私からの距離は70kmです。そして音の速度は1秒あたり340mなので計算すると、燃えた音が私に到達するまで約3分26秒かかる計算です。一瞬遅れて聞こえたというのとは大きく差があります。
真下で打ち上げ花火を見ていても少し遅れて聞こえてくるわけですから、70km以上先の音が同時に聞こえるのは不可能なのです。


















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仮説1で音速以上でないと届かないことがわかりました。それ以上の速さで伝わるものを探すと、大気に突入する際に発生する衝撃波があるのではないかと思い調べてみました。
音速以上の速さで進むものが空気とぶつかると衝撃波(ソニックブーム)が発生します。
これは圧縮された空気の塊で音速よりも早く伝わります。そして伝わるにつれてエネルギーを徐々に失った衝撃波は、音速と同じ、もしくはそれよりも遅くなると「ドン」という音として伝わります。またその力は、窓をカタカタと揺らすくらいの力があるようです。事実、1996年につくば隕石として知られる隕石が私の町の上空で破裂し落ちてきたときに、友人の父親は、大きなドンという音と同時に窓の揺れを感じ、交通事故だと思い外に出たといっておりました。
しかし、これでは私の感じた音とは違います。またいくら音速を超えた速度を持つ衝撃波とはいえ、70kmをそんなに速く伝わるとは思えません。そこであの速度で伝わるとするなら、光や電波の速さでないと無理ではないかと感じるようになりました。




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これは大気に突入する際に生まれたプラズマから発生した電磁波が地上に達したという考えです。
そもそも電磁波の伝わる速度はどのくらいのものか調べてみると空気中では電波と同じ速度であることがわかりました。
テレビを見ていると遠くの中継が少し遅れて伝わるという現象が発生します。もしあの流星が70kmという距離ではなく、かなり離れていたとするならば一瞬送れて聞こえたという間も納得できます。
とはいえ、電磁波は耳では聞こえません。
ただ電磁波が届いたときに、私の脳が音として認識したと考えるなら、聞こえた気がするというどこかあいまいな体験も理解できるのです。耳で直接聞いたという感覚ではない、自信がないというのも私自身納得できるのです。


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結論を申しますと、電磁波が怪しいのではないかというところまでしか今回は突き止められませんでした。ただ私と似た体験をされている方は何人もいるようで、こちらのサイトにもそのような存在があるのではないかと書かれていますが、やはり科学的な裏づけはないようです。

電磁波の音を聞いたというと、突拍子もない意見と思われたり、私が変な感覚の持ち主かと思われてしまうかもしれませんが、皆さんもこんな経験をされたことはないでしょうか?
自分のポケットに入れておいた携帯電話を取り出したとき、携帯の画面が「Eメール受信中」の表示だったりすることです。いつも偶然だなと思いますが、それにしてはタイミングよく取り出すことが多かったりします。
これは一種の電磁波の影響ではないかなと私は感じています。携帯電話は私たちが使用する道具の中では1、2位を争う電磁波を発するので、受信中に無意識に手が伸びているのではないかと思うのです。

原因はわからず推論で終わってしまいましたが、まだまだ人類には未知のことばかりの宇宙から届けられた神秘の音を感じたのだろうと、心にとどめていきたいと思います。

<リンク>
参照サイト ・・・ http://www5e.biglobe.ne.jp/~shibaya/index.html
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by naomedia | 2006-10-21 15:50 | カルチャー・エデュケーション
7年前の流れ星を追いかけて
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オリオン座流星群が21日の晩に一番よく見えるようです。あまり流星の数は多くないようですが夜空を眺めるいい機会になりそうですね。

秋の流星群というと7,8年前のしし座流星群を思い出します。1999年のことだと思うのですが私もベランダから夜空を眺め、とてもすばらしい天体ショーを経験することができました。一夜で数え切れないほどの流星を見たのですが、その中に1つとても印象に残っているものがあります。


その流れ星は下の左図のようなもので普通の流星ではなく、
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まるでディズニー映画で魔法をかける瞬間に現れるような形で、しかもとても明るく夜空を駆け抜けていきまいた。
その瞬間、それまで人の気配を感じることもないくらい静かだった周囲から「おおっー」という歓声が上がったのです。

しかしこの流れ星はそれで終わりではありませんでした。
その流れ星の通った形がぼんやりと空に残っていたのです。まるで打ち上げ花火の後に残った煙のようでした。最初は明るい光を見たので、太陽を直接見てしまったときのように目に残像が映っているのだと思いました。しかし1分経ち、2分経つうちにやはり目の錯覚ではないと気づかされ、その煙のようなものは3~4分後には少しずつ飛行機雲が消えるように崩れていき消えてしまいました。
しかしその後はその煙のようなものがやはり自分の気のせいかと思っていたのですが、今回色々と調べてみると流星痕というものの存在に行き着きました。
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流星痕とは明るい流星の後に見られる飛行機雲のようなものですが、1,2秒ですぐに消えてしまうものを短痕と呼びます。
それとは違い、まれに十数秒から数十分にもわたり空中で光るものがあり、それを永続痕と呼び、私が見たものの特長がぴたりと一致します。
長時間の発光と共に高層の風の影響で徐々に形を変え消えていくというのです。しかし、この光の正体は何が光っているのか未だにわかっていないそうです。
永続痕の写真はこちら (肉眼ではこのサイトに掲載されているような写真ほど明るくは見えません。)

短痕の1,2秒の光はプラズマが光っているとわかっていて、その発光の仕組みはオーロラの発光と同じとされています。
オーロラと聞くと、私が見たほのかな光もオーロラに近い光だったのでは!と思ったのですが(オーロラを見たことはありせんが。)永続痕はやはりプラズマが光っているわけではないようです。
それはプラズマが光る仕組みを知ると理解できます。

そもそもプラズマとは、物質の状態である固体・液体・気体を超えたその先にあるもので
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とても高温の状態などで発生し、原子と電子が分離した状態を呼びます。(流星が光るときはとても高温なのでこの状態になります)
このとき分離した電子が、高速で大気の酸素原子と衝突すると、酸素原子は余分なエネルギーを放出しようと光るそうです。
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つまり高速で衝突している短い時間しか光らないのです。そのため、永続痕は何かの物質が燃えているという推測になっているのだと思います。


永続痕はとても珍しいもので、なかなか見ることができませんがしし座流星群では現れる確立が高く、そのため観測の準備もできたため写真も残りました。
永続痕が現れやすい条件とは以下のものです。
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特にしし座流星群では垂直に入り、速度が上がる条件がそろったため見ることができたといわれています。



自分の錯覚かもしれないと思っていたことが今回調べてみると実際に存在することがわかり調べれば調べるほど、出会えたことに一層の喜びを感じるようになりました。
今回見られるオリオン座流星群は、ハレー彗星が落としていった塵が振ってくるため、通過後、既に17年が経ったことで年々数は減ってきてしまっているようですが、今年も素敵な出会いが空やからやってくるといいですね。


(難しい内容になってしまいすみません。
私も今回勉強したものばかりですので、間違っているところがあればご指摘ください。)

参照サイト
Stellar Scenes
流星の部屋
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by naomedia | 2006-10-19 01:18 | カルチャー・エデュケーション
50mを泳ぎきった気分
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先日、これまでの記事を数えてみるとちょうど50回でした。今のようなペースで更新を始めたのが去年の10月中旬なので、1年で50回となりました。(都合で半年は休んでいましたが。)
毎回違うテーマを取り上げる為、方向性を見失うことや、自分のスタイルを未だに模索している状態ですが、来て頂いている皆さんには本当に感謝しております。

実はこのブログを始めるときにテーマが設定できなかったため、ルールを決めていました。
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その後、書いているうちに1つ加え
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これらのルールの中で書いてきました。ただ最近は同じような展開も生まれてしまうので
ルールに縛られすぎずに書いてみようと試行錯誤しています。

ブログを書いている人は感じている方も多いと思いますが、更新を続けていると悩みが生まれることがあります。代表的なものは「書きたくなくなったらどうするか」「来てくれる人が少ないのをどうするか」等です。そんな困った状態になったとき私は
「ウェブログ・ハンドブック レベッカ・ブラット著」を何度も開いています。
この本にはどのブログサービスがいいかや、訪問者をどのように増やすかなどというような一般的なブログの指南書のようなことは書いてありません。
書いてあるのは「ブログを通して得られる大切なものは何か」です。読みやすいですがとても分析的です。ブログの持つ本質について書かれています。
実はブログを始める前に一度読んでいたのですがそのときには理解できない内容が多かった記憶があります。逆に言えばブログを運営していて初めて直面する問題について詳しく書かれています。


e0011904_0314215.jpg著者のレベッカさんはカリスマブロガーで、ブログが誕生した頃からブログを運営し、世界中に拡大してきた様子や自分や他の人のブログの体験をもとに書かれているので他の本に比べ説得力があります。
実はレベッカさんとは講演で来日した際と、米国で1度ずつお会いしたことがあり、お会いする前に本は読んでいましたが、当時私はまだブログを持っていなかったためブログについての話をあまりしませんでした。今は後悔ばかりです。しかし2度お会いしたことが私にブログをやってみようという気持ちを与えてくれました。





本の内容は運営についてが多いですが、こんな一節があるので紹介したいと思います。
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ドキッとさせられる文章ですが、閲覧数は誰でも気にしますし、ブログを書いている以上少しでも多くの人に見てもらいたいものです。もし誰にも見られなくていいというなら、ブログを公開する意味がなくなってしまいます。
私が書く目的を失いかけてしまうときも、ほぼこれらの要素が関与しています。
閲覧数を意識しだすといつまでたっても満足できないものです。人気ブログを運営しているレベッカさんですら数には不満ばかりだと本の中で書いています。
ブログをつけることで何がプラスなのか、他の人とのコミュニケーションなのか、知っていることを共有したいのか、自己表現したいのか、目的を忘れずに更新していきたいですね。

タイトルの50mを泳ぎきった気分とは、迷いながらもスタイルを変え書いてきたのが、50mのプールを何度も足をつきながら泳ぎきった気分に似ていたのでつけました。私自身、安定しないスケジュールで動いているのでいつまでこのブログを続けれるかわかりませんが、いい記事を書けるようになることを目的に更新していきたいと思っています。
そのためには、今回のように1800字も書いているよな文章ではなく、まずルール⑥として「800字に収める」を加え、少しでも簡潔に書けるように努力したいと思います。


<参考文献>
ウェブログ・ハンドブック
レベッカ ブラッド (著)   毎日コミュニケーションズ

<リンク>
ウェブログ・ハンドブック 立ち読みコーナー
レベッカ ブラッドさんプロフィール
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by naomedia | 2006-10-15 00:28 | カルチャー・エデュケーション
変わる環境問題への取り組み
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10数年前の環境問題への取り組みといえば、空き缶や古紙回収の呼びかけ・実施を地域で行う地道なものでした。
前回の記事でも少し触れましたが私の小学校でも活動をしていましたが、おそらく今は行われていないでしょう。
それはあの頃リサイクルに回そうと回収していたものの多くが、今では分別して捨てざるを得なくなりほとんどの人が強制的に参加させられているからです。

90年代の典型として、こんなにゴミとして処分してしまっている、無駄遣いをしているという統計をみせた後、それらにはまだこんなにポテンシャルがあると紹介しみんなで取り組もうという訴えでした。
最近でも同じようにまず危機感を伝え、これ以上悪くならないように行動しようと訴える構造に大きな差はありませんが徐々に変化し2000年代のスタイルが生まれてきていると感じています。

その象徴的なものがテレビで放送されている「素敵な宇宙船 地球号」と流行の「ロハス」です。
「地球号」の中では単に危機感を伝え、さあみんな取り組もうというような押しつけがましい構成をしていません。
まず多くの人が興味をもちそうなテーマから入り、それらが悪化してきている現状を伝え、そしてそんな中でもうまくいっている取り組みを紹介しています。
ここで注目して欲しいのはうまくいっている結果報告が含まれているということです。
そしてロハスにおいては生活全体を楽しみながら無理なく環境にやさしい方向で生活していけるような取り組みを提案しています。しかもオシャレに。
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これらのことを見て私が感じるのは、10年前のダメだダメだとばかり危機感だけを煽るやり方に限界が見えたということです。
以前の活動では、普通の人がするには少し腰が重くなってしまうことを進んで取り組もうとしていましたが、やらない人にとってはいつまでたっても一部の活動者と見られてしまっていました。
また、ダメだダメだとアナウンスをいつもされているがゆえに、取り組んでいる人たちにも「やらない人がいるのだからこんな活動をしていても効果はないのではないか」と離れさせてしまう結果を生んでしまいました。

このダメだと伝わることでの悪循環は今のプロ野球人気問題にも似ていないでしょうか?
試合がつまらない、人が集まらない、視聴率が上がらないとばかりアナウンスされていると私たちは興味を失いかけていますし、もしいい試合があっても先入観から「どうせ」とチャンネルを回してしまたりスタジアムから足が遠のいてしまっているでしょう。
いいところを紹介すれば、春のWBCや夏の甲子園のように全国民の興味を惹きつけられるだけのポテンシャルが野球の中にはあるはずなのですがどこかに潜んでしまっています。


危機的な現状を紹介することは最初こそ大きなエネルギーとなりインパクトはありますが、繰り返すと徐々に人の気持ちも興味もモチベーションも下がってしまうのです。
とはいえ危機感を伝えることはとても重要です。まず私たちがどうにかしなければということに気づかなければ何も始まらないからです。
しかし今の日本において、環境問題について知らない人はまずいないでしょう。
危機を紹介する時代は終わったと思います。
これから大切なことは自分たちの活動がうまくいっていることもアナウンスされ、
そして取り組むことが現状のかっこいいという認識から自然なこととして受け止められることだと思います。
それはかっこいいには賞味期限があると思うからです。
取り組むため入り口にはとてもいいものですが長い期間
「エコライフ(ナチュラル志向)=素敵な生活」の形が保たれるとはあまり思えないのです。
取り組むことが、まずかっこいいライフスタイルとしてこれからの日本の生活として定着し、
その後ごく普通なこととして取り組んでいられる時代が今後10年間で根付き、
10年後にはより上のステップの活動が行える土台が生まれていれいて欲しいと思います。
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by naomedia | 2006-10-09 00:28 | カルチャー・エデュケーション
心の中で生き続ける体験
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子どもの頃の経験したことは大切です。
もし小学生の頃、私が描いた作品が入選していなかったら、きっと私はデザイナーになっていないでしょう。

初めて自分のデザインが社会で利用されるようになったのは大学生のときに採用されたロゴだと思っていましたが、もっと広く振り返ってみると自分のデザインが初めて多くの人に使われたのは小学校5年生のときだと気づきました。

私の通っていた小学校では、空き缶・古紙回収など環境問題への取り組みを行う、アースデイという日が毎月ありました。
そのアースデイが始まるとき、登下校時に肩にワッペンをつけることになり全校生徒がアイディアを一案ずつ出したのですが、そのときに採用されたのが私の描いたデザインでした。
そのデザインは、印刷会社によって本格的なワッペンに仕上げられ、登下校時にみんながつけている姿、私が卒業後もつけて登下校している小学生を見て、自分の制作したものが利用されている喜びと、多くの人が使用している責任感を感じたものです。
私が今、デザイナーとして日々感じていることと同じ事を小学生のときに私は味わうことができたのです。

e0011904_2124437.jpgその後、モノを作ることとは離れて過ごしてきたのですが、進学する大学を選ぶ高校2年生の段階になって初めて私は、大学進学と就職はセットでやってくる現実に気づかされ、大きな不安に包まれました。
就職はずっと先と思っていましたが、わずか17年間の人生で経験したことの中から導き出さなければならなくなったのですからパニックです。

小学生の頃には、新幹線の運転手や教師というように自由な発想で将来像を思い描けていましたが、高校生にもなると自分の偏差値、学費、進学後の評価など様々なプレッシャーがかかり、自分のなりたい将来像を描くのにどんどん視野を狭めていってしまいます。
このプレッシャー自体は、将来の決断をするのですからしょうがないのですが、
でも、そのときに自分の将来の目標が定まらないのはいい状態ではありません。
大学で将来の夢を見つけることもあるでしょうが、やはり大学を選ぶ段階で大きな目標は決まっていた方がいいものです。



この選択を行うときに、小学生のときに経験した喜びや持った夢、経験はその選択に大きく関わってくると思っています。きっとその頃には、何にも束縛されない自由な自分の考えがあったと思うからなのでしょう。
私の場合は運良く、絵を描くことで多くの人に使われたときの喜びという経験があったので自分の好きな道に進んでこれましたが、正直に申しますとあの選択を行うときに、教師とデザイナー以外の選択肢はあまり想像できませんでした。
小学生の頃にもっと多くの経験ができていたならば私の人生はまた違った方向に進んでいたことでしょう。

「百聞は一見に如かず」という言葉がありますが、私は
「十見は一体験に如かず」だと思っています。
牛という動物すら知らない人間が100回、牛の乳搾りについて聞くよりも
1回見た方が遥かに理解することができるでしょう。
同じように10回様々な職業見学に行くよりも
1回体験した方がずっと多く楽しみ、喜び、苦労、コツ、行程などが理解できるでしょう。
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という順序で吸収する情報は多く、一度体験するとその後もその仕事に興味が沸いてくるものです。
音楽でもそうですね。
家でCDを聞いているよりも、一度コンサートに行ったアーティストの方が遥かに心に残りますし、その後も強く興味が沸いてくるものです。
体験したことは、一時期だけでなくその後も生き続けるのです。

様々な職業の体験できるキッザニアですが、多くの子どもがそこで体験したことを通して、自分の心に私の将来という種を撒き、その後もその成長を手助けし、10年後、20年後にその花をさせて欲しいと思います。


キッザニア・・・・公式ページ
キッザニアについて・・・東京キッザニア広場
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by naomedia | 2006-10-04 00:26 | カルチャー・エデュケーション
子どもの頃にツリーハウスに憧れる理由
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今月号のTITLEを読んでいるとツリーハウスの特集が組まれていました。
その記事にも書いてありますが、多くの人が子どもの頃に一度は憧れたと思います。
私もその1人で、よくチラシの裏に木の上の家を何度も描いた記憶があります。
大人になっても、ツリーハウスと聞くとワクワクするものですが、
やはり子どもの頃の方が、憧れが強かった気がします。
なぜあんなに憧れたのか、子どものときの自分の記憶を辿りながら探ってみようと思います。

私が小学生だった頃、近くの山に、木の上に基地がある木がありました。
それは、私たちが遊ぶ数年前にどこかの中学生が作ったもので、ベニヤ板、ロープ、廃材を使って組み立てられた、3~4階の構造を持ったものでした。
家ではなく、単に床が木の上に作られていたものですが、この上に登って過ごした時間はとても楽しかった記憶があります。


e0011904_22343041.jpg遊ぶといってもただ登っているだけで何をしたわけでもなく、ただ木の上で過ごしているのが楽しかったのですが、唯一、大きなターザンロープがあり、
これはどんな自然公園に行っても出会うことがないような大きさで、しかも斜面でしたから途中からはどんどん高度が高くなり、本当に森の中の空を飛んでいるような感覚が味わえると楽しいものでした。
(言葉で書いてもイメージが伝わりにくいと思うので、記憶を頼りにスケッチを描いてみました。そちらを見てください。)
<スケッチを拡大する>


私が遊んでいたものは純粋なツリーハウスとは違いますが、壁がないだけで、魅力はほとんど同じだと思います。
木の上の空間は、普段の見慣れている世界を急に、非日常の空間へと変えてくれます。
ただ過ごしているだけで楽しいを引き出してくれるのがこの非日常的な空間で、そしてそれを作り出してくれているのが、木の高さなのです。
よく絵の中に描かれているはしごを見ると、なぜかワクワクさせられる気持ちを持つのですが、これはきっとはしごが日常から非日常への架け橋だということを体験として知っているからだと思います。



そして木の高さはもう一つの魅力を作り出してくれます。
それは、子どもだけの空間です。

大人になると、多くの人は木に登れなくなります。
まるで大人になると空を飛べなくなってしまうピーターパンのようにです。

私も子どもの頃はなんとも思わず木に登っていました。
正直、人より木登りに自信がありましたが、今は登ろうとは思いません。
登るという行動に魅力がなくなってきてしまったこともあるのですが、登るのが怖くなってきてしまったこともあります。
小さな枝の間を潜り抜けられず、細い枝に体重をかけることもできませんし、
落ちたときに「イテテ・・」の言葉では済ませてくれません。

大人になると登れなくなってしまうという状況の印象的なシーンは
「トム・ソーヤの冒険」の中にも登場します。
それは一緒に生活しているおばさんがツリーハウスの下でトムのことを怒り、叫びますが、登ってこられないのです。トムはそれを知っていて無視をしてしまいます。

このように、木に登るという行動が、子どもの頃に厄介でしょうがなかった大人たちを遮断し、
自分たちだけの空間を手に入れることができるのです。
最初は木登りだけを楽しんでいるのですが、もっと自由に動きたいと思うと、トムのようにツリーハウスが欲しくなってくるわけです。

これらがツリーハウスのことから、ツリーハウスに憧れていたのでしょうが、
自分が子どもから大人になるにつれて、あの憧れていた気持ちを薄れさせていってしまったのも、同じ理由からかもしれません。
でも、ツリーハウスの写真や絵を見ただけで、どこかワクワクさせられる気持ちが残っているうちは、きっと心の奥底にまだ子供の心が残っていると思っていますよ。
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by naomedia | 2006-09-27 22:58 | カルチャー・エデュケーション
オシロイバナ・コレクション
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よく使う道にオシロイバナは咲いていませんか?
何もしなくても生えてきてしまうくらいの生命力を持つ植物なので
気にもせず、通り過ぎていたのですが
先日、近所の庭に咲いているオシロイバナの柄が面白い柄であったことに気づきました。
そこで、他のところでは、もっと面白いものが見つかるのではないかと思い、
散歩がてらコレクションしてみることにしました。
これが意外と数が多いのです。

オシロイバナの柄が異なるのは、中学生か高校生で習った遺伝によるものですが、
基本は上の写真にあるピンク・黄色・白の三色が大本になります。
そしてそれぞれが混ざり合うと、

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このようにストライプ柄や斑点のついた模様になります。
遠くから眺めてオレンジがあると思わされるのは、黄色をベースにピンクの斑点がついているときが多いようです。
そしてこれらの中には、

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ストライプと斑点が混ざったもの。
そして斑点だけなのですが、外側によっていて小さな朝顔のように見えるものがあったり、
花びらごとに違う色が配され、コントラストが強く現れるものがあります。
そして、偶然が重なり

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BMWのロゴのような模様を作り出す花や、半分ずつ色が異なるハーフ&ハーフが生まれてくるときがあります。
ただ、このようにきれいなものが出る花はそんなに多くはありません。
ここまで見てきてお気づきかもしれませんが、
ピンクと白、ピンクと黄色は混ざるのですが、黄色と白は混ざっていません。
この部分は調べが足りないのですが、少なくとも私の家の近くでは見つけることができませんでした。
ただ、濃い色の黄色と薄い色の黄色の2種類が黄色には存在しているのです。
もしかすると、薄い黄色は白と黄色が混ざったものかもしれないとも思っているのですが、
ピンクと黄色が混じっても、視覚的にはオレンジでも、純粋なオレンジの花が生まれているわけではないので、真意はわかりません。


これ以外にもハーフ&ハーフと同じように、クォーターや1/10だけ色がついた模様のものが存在します。
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普段あまり気にしない花ですが、家から駅に向かって歩くときにでも
それぞれの場所で咲いている花の模様を眺めてみてください。
場所によってそれぞれの特徴があります。
探すコツは、2種類の色のオシロイバナが咲いているところの間を中心に探す見つけやすいと思います。
1色しか咲いていないところにはまず咲いていません。
そして模様だけのオシロイバナが咲いていることはとても珍しいと思います。(私は出会いませんでした)

オシロイバナを注意しながら街を歩いてみると、
きっといつもとはまた違った街を楽しむことができると思います。
この涼しい季節にオシロイバナ散歩に出かけてみるのもいいかもしれませんね。


*掲載した名前は、私が勝手に命名したもので、正式な名前ではありません。
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by naomedia | 2006-09-23 14:28 | カルチャー・エデュケーション