<   2006年 09月 ( 9 )   > この月の画像一覧
サンフランシスコの青い空
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サンフランシスコといいますと、霧の街というイメージがありますが、私が滞在した期間のほとんどは雲ひとつない青空が広がっていました。
日本でも秋や冬には空気が乾燥し、澄みきった青空になりますが、夏の青空は多湿でどこか霞のかかってしまいます。
真夏の澄み切った青空が珍しく感じた私は、その空ばかりを写真を撮影してしまいました。

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拡大した写真や、その他の写真はこちらでご覧になれます。


この写真を見ると名物の霧は珍しいのかと感じるかもしれませんが、霧は頻繁に現れます。
ただ多くは夜から朝方にかけてで、昼間に現れる事はそんなに多くはありません。
私が滞在していたところは、SFから80キロくらい離れてしまうのですが、
そこでは霧は地上よりも高い位置に毎朝現れました。
そのため朝はいつもどんよりと曇り、夏なのに寒いのです。
ちょうど現在の日本の朝の涼しさが夏でも存在します。

しかし、毎朝9時を過ぎた頃、10分くらいの間にたちまちその雲は消え、雲ひとつない青空が広がるのです。
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上の写真は時間を追って撮影したのですが、あっという間に晴れてしまいます。
左から2枚目の写真で、右の山の上のほうで雲が薄くなり、そのまま左に雲が流されていくのかと思いきや、そのまま雲が分かれて空に消えていってしまうのです。



e0011904_1449236.jpg空にばかり興味を引かれてしまい上ばかりを見て歩いていると、街灯に取り付けられている看板が目を引きました。一枚目は、SF RISINGキャンペーンの広告、そしてもう一枚は、サンフランシスコ・シンフォニーの広告です。

SF RISINGはSFを襲った大震災からちょうど100年目を記念し、あの出来事から復興とこれからを考えるキャンペーンで、そのシンボルに不死鳥(フェニックス)をつかっているようですが、その広告はまるで後ろの青空を切り取ったようなデザインをしています。

そしてもう一枚のサンフランシスコ・シンフォニーの広告は、雲ひとつない青空にまるで、ト音記号の形をした雲が浮かんでいるように見え目が留まりました。
これらの広告を見たときに、気持ちのいい広告だなと感じたと同時に、雲ひとつない晴天が毎日続くこの地だからこそできる手法だなと思いました。





この青空のおかげで毎日快適な生活を過ごせたのですが、
他にも素敵な出来事を私にプレゼントしてくれました。
それは、写真をご覧になって感じると思うのですが、
光が強いのでとても画像がきれいに、そして発色よく写るのです。
考えてみると、カメラを購入しようと思いパンフレットを開くと、必ずといっていいほど地中海周辺で撮影した、イタリアやフランスのサンプル写真が写っていますね。
日本ではなかなかあの光はでないのです。
SFもワインの産地として有名なように、地中海性気候で同じような環境で光が似ているのでしょう。

街だけを撮影していたら気づかなかったと思うのですが、
青空を撮影していて、「ああ、この気候と空のおかげで写真まできれいに写せているのだな」と光の持つ力にも気づかされました。
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by naomedia | 2006-09-30 15:13 | アメリカ
子どもの頃にツリーハウスに憧れる理由
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今月号のTITLEを読んでいるとツリーハウスの特集が組まれていました。
その記事にも書いてありますが、多くの人が子どもの頃に一度は憧れたと思います。
私もその1人で、よくチラシの裏に木の上の家を何度も描いた記憶があります。
大人になっても、ツリーハウスと聞くとワクワクするものですが、
やはり子どもの頃の方が、憧れが強かった気がします。
なぜあんなに憧れたのか、子どものときの自分の記憶を辿りながら探ってみようと思います。

私が小学生だった頃、近くの山に、木の上に基地がある木がありました。
それは、私たちが遊ぶ数年前にどこかの中学生が作ったもので、ベニヤ板、ロープ、廃材を使って組み立てられた、3~4階の構造を持ったものでした。
家ではなく、単に床が木の上に作られていたものですが、この上に登って過ごした時間はとても楽しかった記憶があります。


e0011904_22343041.jpg遊ぶといってもただ登っているだけで何をしたわけでもなく、ただ木の上で過ごしているのが楽しかったのですが、唯一、大きなターザンロープがあり、
これはどんな自然公園に行っても出会うことがないような大きさで、しかも斜面でしたから途中からはどんどん高度が高くなり、本当に森の中の空を飛んでいるような感覚が味わえると楽しいものでした。
(言葉で書いてもイメージが伝わりにくいと思うので、記憶を頼りにスケッチを描いてみました。そちらを見てください。)
<スケッチを拡大する>


私が遊んでいたものは純粋なツリーハウスとは違いますが、壁がないだけで、魅力はほとんど同じだと思います。
木の上の空間は、普段の見慣れている世界を急に、非日常の空間へと変えてくれます。
ただ過ごしているだけで楽しいを引き出してくれるのがこの非日常的な空間で、そしてそれを作り出してくれているのが、木の高さなのです。
よく絵の中に描かれているはしごを見ると、なぜかワクワクさせられる気持ちを持つのですが、これはきっとはしごが日常から非日常への架け橋だということを体験として知っているからだと思います。



そして木の高さはもう一つの魅力を作り出してくれます。
それは、子どもだけの空間です。

大人になると、多くの人は木に登れなくなります。
まるで大人になると空を飛べなくなってしまうピーターパンのようにです。

私も子どもの頃はなんとも思わず木に登っていました。
正直、人より木登りに自信がありましたが、今は登ろうとは思いません。
登るという行動に魅力がなくなってきてしまったこともあるのですが、登るのが怖くなってきてしまったこともあります。
小さな枝の間を潜り抜けられず、細い枝に体重をかけることもできませんし、
落ちたときに「イテテ・・」の言葉では済ませてくれません。

大人になると登れなくなってしまうという状況の印象的なシーンは
「トム・ソーヤの冒険」の中にも登場します。
それは一緒に生活しているおばさんがツリーハウスの下でトムのことを怒り、叫びますが、登ってこられないのです。トムはそれを知っていて無視をしてしまいます。

このように、木に登るという行動が、子どもの頃に厄介でしょうがなかった大人たちを遮断し、
自分たちだけの空間を手に入れることができるのです。
最初は木登りだけを楽しんでいるのですが、もっと自由に動きたいと思うと、トムのようにツリーハウスが欲しくなってくるわけです。

これらがツリーハウスのことから、ツリーハウスに憧れていたのでしょうが、
自分が子どもから大人になるにつれて、あの憧れていた気持ちを薄れさせていってしまったのも、同じ理由からかもしれません。
でも、ツリーハウスの写真や絵を見ただけで、どこかワクワクさせられる気持ちが残っているうちは、きっと心の奥底にまだ子供の心が残っていると思っていますよ。
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by naomedia | 2006-09-27 22:58 | カルチャー・エデュケーション
オシロイバナ・コレクション
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よく使う道にオシロイバナは咲いていませんか?
何もしなくても生えてきてしまうくらいの生命力を持つ植物なので
気にもせず、通り過ぎていたのですが
先日、近所の庭に咲いているオシロイバナの柄が面白い柄であったことに気づきました。
そこで、他のところでは、もっと面白いものが見つかるのではないかと思い、
散歩がてらコレクションしてみることにしました。
これが意外と数が多いのです。

オシロイバナの柄が異なるのは、中学生か高校生で習った遺伝によるものですが、
基本は上の写真にあるピンク・黄色・白の三色が大本になります。
そしてそれぞれが混ざり合うと、

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このようにストライプ柄や斑点のついた模様になります。
遠くから眺めてオレンジがあると思わされるのは、黄色をベースにピンクの斑点がついているときが多いようです。
そしてこれらの中には、

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ストライプと斑点が混ざったもの。
そして斑点だけなのですが、外側によっていて小さな朝顔のように見えるものがあったり、
花びらごとに違う色が配され、コントラストが強く現れるものがあります。
そして、偶然が重なり

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BMWのロゴのような模様を作り出す花や、半分ずつ色が異なるハーフ&ハーフが生まれてくるときがあります。
ただ、このようにきれいなものが出る花はそんなに多くはありません。
ここまで見てきてお気づきかもしれませんが、
ピンクと白、ピンクと黄色は混ざるのですが、黄色と白は混ざっていません。
この部分は調べが足りないのですが、少なくとも私の家の近くでは見つけることができませんでした。
ただ、濃い色の黄色と薄い色の黄色の2種類が黄色には存在しているのです。
もしかすると、薄い黄色は白と黄色が混ざったものかもしれないとも思っているのですが、
ピンクと黄色が混じっても、視覚的にはオレンジでも、純粋なオレンジの花が生まれているわけではないので、真意はわかりません。


これ以外にもハーフ&ハーフと同じように、クォーターや1/10だけ色がついた模様のものが存在します。
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普段あまり気にしない花ですが、家から駅に向かって歩くときにでも
それぞれの場所で咲いている花の模様を眺めてみてください。
場所によってそれぞれの特徴があります。
探すコツは、2種類の色のオシロイバナが咲いているところの間を中心に探す見つけやすいと思います。
1色しか咲いていないところにはまず咲いていません。
そして模様だけのオシロイバナが咲いていることはとても珍しいと思います。(私は出会いませんでした)

オシロイバナを注意しながら街を歩いてみると、
きっといつもとはまた違った街を楽しむことができると思います。
この涼しい季節にオシロイバナ散歩に出かけてみるのもいいかもしれませんね。


*掲載した名前は、私が勝手に命名したもので、正式な名前ではありません。
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by naomedia | 2006-09-23 14:28 | カルチャー・エデュケーション
青春の1ページを描く映画
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日本の映画をほとんど見ない私なのですが、まもなく公開される「夜のピクニック」という映画に興味を持っています。

この映画、茨城県にある県立水戸第一高等学校(以下、水戸一高)の「歩く会」という行事をベースに、この高校出身の作家、恩田陸さんの小説を映画化したものです。
この行事、私と全く切り離すことができない事情があるのです。

といいますのも、この映画のベースとなった歩く会と同じものが
私の出身高校に存在したのです。
それは私の高校ができた頃、水戸一高の校長先生が異動で私の高校に赴任され、
同じ行事を始めたからで、名前こそウォークラリーと違いますがほぼ同じ内容の行事を体験したのです。
では、先ほどから出ている「歩く会」とは何かと申しますと、
約24時間をかけて、全校生徒で約70キロを踏破するというもので、
行きは早朝に大型のバスで出発点に向かい、そこから高校に向かってみんなで歩きます。
初日にクラスメートと共に50キロ、次の日に仲のいい友達と20キロを自由に歩くというもので、映画のキャッチコピーにもありますが“ただ70キロを歩く”というイベントなのです。
この行事、私の高校では毎年ちょうどこの時期、9月の最終の週末に行われています。
卒業してから既に何年も経ちますが、やはりこの時期が来ると毎年思い出します。
そして天気予報をじっくり眺めて、今年はどんな様子でみんな歩いているのかなと物思いにふけってしまうのです。
そのようにちょうど思い出を掘り返してしまう時期に、偶然にもそのイベントをテーマにした映画が公開されるのですから興味をそそられてしまいます。

映画では、この行程に様々な人間模様やラブストーリーが絡んでくるようですが、実際の経験からすると、ラブストーリーはちょっとリアルではないかなという印象を持っています。実際は男女別々の行動という感じでしたから。

24時間で70キロを歩くというと、とてつもない距離を歩くように思われるかもしれませんが、
どんな女の子であっても歩ききれるものです。
足にマメができてしまったり、大変な思いをする人もいますが、歩く速度はとてもゆっくりでまさにピクニックです。私の感想では登山の方が遥かにきついです。


高校生活は3年間ですから、コースは3コース用意されており、
同じコースを歩くことは二度とありません。毎回が新鮮な風景です。
印象としては

70キロなんてあるけるのか?大丈夫かな?という
緊張の1年目。

持参する荷物、楽しみ方にも慣れてくる
慣れの2年目。

そして
感慨に浸る3年目。

そんな思い出の残るこの行事ですが、私の時は3年目がとても過酷だった記憶があります。
1,2年目はコースが山で、天気も曇りだったのですが、
3年目は9月も終わるというのに、雲ひとつない真夏日となり
コースも、霞ヶ浦に沿ってひたすら歩くものだったので木陰一つなく、
持参した水は底をつき、だだっ広い霞ヶ浦の風景は変わらず、
まるで砂漠の中を歩いているような気持ちでした。

そんなただ歩くだけの何が楽しいのかと思うかもしれませんが、
前回取り上げた登山のときと同じで、歩いているときは必死で気づきませんが
終わってみれば仲間と過ごした長い時間、一緒に乗り越えた大変な思いは
もう高校を卒業した後には得ることができない大切な青春の思い出として
強烈に残るものです。

先ほど、「感慨に浸る3年目」と書きましたが、9月の終わりということもあり、
高校時代最後の行事がこの歩く会になるのです。
三年目に最後にゴールのゲートをくぐるときには、
ここでこのゲートをくぐってしまえば、これで高校生活も終わりなんだなという思いがわいてきました。1,2年生のときはよかった!歩ききった!という達成感でのゴールでしたが、
3年目は70キロも歩いてきているのに、ゴールがもっと先ならいいのにという気持ちが
心の中で渦巻いていました。

そんな気持ちもあり、
また普段仲よしだった3人組のうち、一人だけ遅れている友人がいたので
「最後くらい一緒にゴールしようぜ」ともう一人の友人に伝え
すぐにゴールせずに遅れている友人をしばらく待ち、3人一緒にゴールしたことを思い出します。

それから約半年後、そんな記憶も薄くなり始めた頃、
卒業式を向かえ手元に届いた卒業アルバムを開いて驚かされました。
それはそのゴールを3人でくぐった瞬間の写真が大きく載っていたのです。(撮られていたなんて3人とも気づきませんでした。)
しかも、僕が中心で満面の笑顔に、右手の親指を立ててゴールをしていて、
友人二人が、僕の半歩後ろを疲れた表情で写っているのです。
一人だけ満面の笑みの僕がまるで水戸黄門で、その後ろにスケさん、カクさんというような
写真でいまでも笑いのタネですが、
あの瞬間がまぎれもなく青春の1ページとなってしまったわけです。
(あの友人二人の表情を見ると、もしかするとゴールがもっと先ならいいのになんて考えを持っていたのは私だけだったかもしれません。)


私はまだ映画を見ていませんし、どんなストーリーなのか、面白いのかどうかすら知りません。
ただ映画のスナップ写真を見る限り、あの日の風景にそっくりであることは確かです。
もし、チャンスがありましたら一度ご覧になってみると、きっと私の文章だけでは伝えることができない、このイベントの雰囲気が味わえると思いますよ。

映画公式サイト ----- 夜のピクニック
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by naomedia | 2006-09-20 01:39 | 映画
なぜ人は山に惹かれるのか
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先日、家族と共に谷川岳を登ってきました。
大人になってからは初の登山だったのでとても新鮮な1日となりました。
山は昨今の中高年登山ブームの中、中高年のハイカーが多く、
私の年代は非常に少ないものでした。

実際に登った感想は
自然の中で気持ちよく過ごしたというよりも、
つらいとまではいいませんが大変だったという印象です。
岩を1つ1つ超えていくので、10分歩いて5分休憩というスローペースで少しずつ登り、約4時間かけて頂上に辿り着くことができました。


登る前から楽な道のりは想像していませんでしたが、
なぜそんな思いまでして人は山を登るのか、またブームとなるのかがずっと疑問でした。

その日は天候も良く、遠くの山々まで見ることができた最高の登山日和で、登頂できた充実感を頂上で十分に味わえたと思います。
でも私は下山している最中も、なぜ人はこんな思いまでして山に惹きつけられるのかその疑問は解けずにいました。

このとき私が思っていた惹きつけられる理由
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これらのことは、下山中のみでなく、出発以前にも想像していた理由でもあるのですが、登った後に振り返ってみてもどれも的外れではなかったなと感じています。
登っているときには、頂上に登ればそこになにか答えがあると思っていましたが、
実際にこの答えがもう少し見え始めたのは登山後、数日経ってからでした。


e0011904_14381856.jpg帰宅後、日に日に登りきった充実感が不思議と増していき、辛かった思い出を吹き飛ばし、また別の山に挑戦してみたい、
次はどんな体験が待っているのだろうと、登山を楽しかった時間へと変えていったのです。

そしてもう1つ、登る前には全く気づくことのできなかった喜びを、登っている最中に味わっていたことに気づかされました。
それは思いやりです。

普段、何でも1人でできてしまう便利な現代社会において、多くの不便や危険がある山において、普段は使わないような相手に対しての思いやりの言葉や行動を自然とみんなが発していたのです。
そのお互いを思いながら過ごした時間が、日常の人間関係とは違いとても心地よく感じていたことに気づかされたのです。

これらの体験は目には見えませんし、ダイレクトに心に飛び込んでくるようなインパクトもありません。
しかし、普段気づくことができない家族や夫婦の絆、人の優しさを再認識できるもの、山が人を惹きつける1つの理由なのかもしれません。


その他の山の写真はこちらで見られます。
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by naomedia | 2006-09-16 14:41 | カルチャー・エデュケーション
ものづくりとラブレターの共通点
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先日、ラジオを聴いているとDJ(誰かは忘れましたがミュージシャンのようでした)に対して「なぜ、アーティストは夜型なのですが?」という質問が寄せられていました。

私はデザイナーでアーティストではありませんが、やはり夜に作業をする方が集中できるのです。美大時代の友人を見ても、その多くも夜型だったと思います。

ではなぜ、夜型なのかと聞かれると答え方に困ってしまいます。
一日中アイディアを考え続けて、そしてようやくまとめに入るからいう印象ではあるのですが、夜の作業は集中でき、はかどるのです。


さて、このDJはいったいどんな答え方をするのかと、聞き耳を立てていると
その答えは非常に簡潔で、誰にでもイメージし易い説明に驚かされました。

「もしあなたが好きな人にラブレターを書こうとしたら、
朝起きて、さあ書こう!なんてしないでしょう。まずそんな気分にならなし、お昼までに書き上げようなんて予定も立てられない。
夜になっていろいろ一日中考えたその人への想いを何度も書き直していくはずです。音楽を作るのだって同じなのです」(言葉は違うと思いますが、内容はこのようなものでした。)

ミュージシャンの言葉なので、私とは違う分野ではありますが
誰にでも物作りに対する熱意を説明するのにとても分かり易いものだと思います。
もし、小中学校の図工や美術の時間が嫌いで物を作る楽しさに気づき難かった人が
この説明を聞いたとしても、またはラブレターを書いたことがない人が聞いたとしても、
自分が作ったものを通して、自分の考えを一生懸命他の人に伝えようとする努力を説明するのにイメージしやすい例だと思います。
なぜ夜型になるかということに関しての答えは「気分」としてしか説明がありませんが
それだけ没頭して一つのことに熱中し、一生懸命に取り組むからこそ夜になってしまうということが想像できると思います。


ラブレターを例に挙げものづくりの流れを説明するのは本当によくできた説明だと思います。
それはものづくりにおける物自体作るところから、作り終わった後にプレゼンテーションするまでの行程がラブレターにも含まれているからです。
何かを本気で作ろうと思ったら、何度も何度もまるで粘土のように練りこみ作っては直し作っては直しを繰り返すはずです。
そうすることによって必要なものだけ、意味を持ったものだけが残り、作品として非常に明確でありながら、深い意味を持ち合わせたものになっていきます。
これをラブレターに例えるなら、手紙に書く文面の推敲にあたりますね。
別の意味に取られないように、そして明確に気持ちが伝わるように言葉を選び、何度も書き直すことでしょう。
ストレートに気持ちが伝わるように。
そして、効果的に相手の気持ちを動かすことができるように。

そしてそのようにしてようやく出来上がった手紙を次のステップで封筒に入れますね。
どんな封筒にするかは、書き始める前に決めてしまっているかもしれませんが、
最後に必ず入れ方を考えるでしょう。
2つ折がいいのか、3つ折の方が印象が良いのか。
女の子ならドラマのように香水を吹きかけるかも知れませんし、閉じるシールを考えかもしれません。
これらのことはものづくりでいうところの、作品を相手に見せる為のプレゼンテーションの準備と重なります。
まず、作品の何から見せるか。
いきなり作品を見せるものいいが、感動が薄くなる可能性がある、だからといってコンセプトから語り続けるとその前に飽きられてしまって作品の確信(ラブレターにおける自分の気持ち)が霞んでしまう。
そんなことで、どういう第一印象を与えるかの戦略と準備ですね。

そして、ラブレターを書いたなら渡し方も必ず考えるでしょう。
確実に、且つ印象的に。
警戒心を持たれないように。
また、うまく渡せなかったときの修正案も少し頭でシュミレーションすることでしょう。
これは、プレゼンする相手に対しての気持ち、準備と全く一緒ですね。

そして実行した後は、
やれるだけのことをやったので、相手がいい返事をくれることを待つだけです。
ラブレターなら「YES」で、
デザインなら「採用」ですね。



家族や友人、知人から週末も夜も気にせず何かを作ってる私の日常について、
なんでそんな思いをしてまでやるの?といわれることがあります。
(決して自分ではそんな思いまでして作っているわけではなく、ラブレターでいう
推敲の部分に時間を取りすぎていて、締め切りぎりぎりで、プレゼンの準備に必死になっているだけなのですが。)
でも、そんな時間が今の私には本当に楽しいのです。
自分の想いを込めたものに没頭し、見せる相手の反応を考えて作っているときは
緊張とワクワクした気持ちとが入り混じりなんともいえない時間になっています。


これまでものづくりラブレターとの類似点ばかりを挙げてきましたが、ひとつ大きく違うことがあります。
それは、何かを作って相手に渡したとき、その場で相手の反応を見ることができることです。

いい反応の時も、悪い反応のときもありますが、
いい反応のときに見せてくれる笑顔はこれ以上ない最高のひとときです。
その瞬間、その表情から、次の作品への意欲をもらっています。

ただ、いつも採用とうまくいきすぎると、調子づいていってしまいますから、
たまに、"フラれ"たり、ダメだしをされたほうが、自分を見つめなおし、成長しなかればいけない部分を見つけ努力するので、よりいい作品ができているのかもしれません。
人生と同じですね。
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by naomedia | 2006-09-13 23:11 | アート ・ デザイン
ペットブームともうひとつの背景
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前回は、ペットから気づかされたアメリカ人の退職後の様子を書きましたが、
今回は、同じくペットから気づかされた
日本の現状について書いてみたいと思います。

日本でにおける最近のペットブームには本当に驚かされることが多々あります。
特に犬に関してですが、室内で飼う傾向が強くなり
服を着せたり、食事の多様化、ペットのためのエステのようなサービスまで始まり、
ペットから家族の一員へとその地位を確実に高めてきております。
(これらのことは、普段の生活を豊かにすばらしいことだと思います。)
このような流れが起きているのは、室内で飼い易い、ミニチュアダックスやチワワのような小型犬の普及が大きいと思うのですが、
もう1つの側面が、この流れの背景にあるのではないかということに気づかされました。

その背景とは少子化です。
この10年で日本の出生率は大幅に減少しています。
今の日本では子どもが減り、ペットが増えていっているわけです。
この二つの傾向を結びつける根拠はありませんが、
子どもが1人ではどこか寂しいから、ペットでもという傾向がどこかに生まれてきているのではないかと感じさせられます。
ペットが増える理由のひとつにアメリカの退職後の生活と同様に
"寂しさ"が日本の家族の中にも生まれてきているのではないでしょうか。
アメリカの場合には近くに親族がいないからでしたが、日本では子どもは1人以上は経済的に厳しいという意識が広まりから子どもが少なくなり、
その分、余裕のある生活がしたいという希望から豊かさのイメージの強いペットを飼うという傾向が強くなっていっているのではないかと感じるのです。


今回私がアメリカに滞在していて一番驚かされたことは文化の違いなどではなく、街中で子どもに頻繁に出会うという体験でした。
私が幼かった頃、約20年前になりますが、街にはもっと子どもがいたという記憶が急に蘇らされたのです。
子どもが少ない少ないといわれるよりも、少ないことが日常となってしまった日本に住んでいる私にとっては、逆に多かった頃と同じよう経験をすることが、
今、日本において本当に子どもが少ない状態なのだなと強烈に感じさせられました。

アメリカの良い面も悪い面も見てきているので、欧米の方法を真似ることだけが良い解決策だとは思いませんが、日本における少子化のネックになっているのは膨らんだ教育費の負担が問題だと思っています。
私立大学にいくことこそが良いとされているアメリカにおいて、日本ほど深刻な少子化になっていないのにはそれなりのサポートや、奨学金の制度があるからだと感じさせられるところがあります。
出産費が無料になるというな最初だけのサポートをだけではなく、その後のことが最も解決していかなければならないのではないかと感じます。


ペットから気づかされた社会について、ペット自体からは少し離れ書いてきましたが、
確かなことはどんなときでもペットは寂しさや、疲れた人の心を和ませてくれ、生活を豊かにしてくれるいつの時代もどんな場所でも人間を支えてくれるパートナーということです。
家庭内では家族とペットの境界がなくなりつつあり、世の中では格差社会が来ると言われ続けていますが今後もこの大切なパートナーである、ペットを飼うことができる、余裕のある社会が今後も発展していって欲しいと思います。
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by naomedia | 2006-09-10 02:21 | カルチャー・エデュケーション
ネコの多い街
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「ペット大国アメリカ」ということを耳にすることがありますが、
実際、私がカリフォルニアに滞在していたときに多くのペットと出会いました。
私は約10数世帯の知人がおりますが、そのほとんどの家庭で
犬か猫を飼っており、人の名前を覚えるだけで大変なのに、加えてペットまで紹介されるので名前を覚えるのは一苦労という感じです。
特に犬は多く、日本よりもとても多い印象があります。
犬は飼い主と一緒にパーティや会社、または街を散歩していたりと出会う機会も多いためそのような印象につながってきたのかも知れません。(私が滞在していた地域が、比較的裕福な地域であったことも関係していると思います。)

そんな犬が多い環境において、
私がよく訪れる地区の1つにとても猫の多い地区があります。
その地区を歩いてみると、犬はいないのに、頻繁に日向ぼっこや
散歩をしている猫、また窓から外を覗いている猫に出会うのです。
「ここの住民の人は猫が好きな人が多いんだな」と最初は思っていたのですが、
何度かその地区を訪ねているうちにその街の持つ背景が見えてきました。


それは、そこの住民の多くが退職者が占めているという事情です。
アメリカには「老後は気候が良い、フロリダかカリフォルニアで」という退職後の
ライフプランがよくあるといいますが、まさしくその人々の考えで生まれてきた
地区だったのです。

退職後に、これまで縁もない地域で生活をしていくのですから、
自分たちの子どもや親戚は飛行機でないといけないような地域に住んでいるというように離れて暮らす人も多いですし、2人だけの生活も寂しいということでペットを飼う人が多いのも自然なことなのでしょう。
また飼い主が高齢であるため、散歩や鳴き声、しつけが大変な犬よりも
飼うのが楽な猫の方が増えていったのだろうと徐々に気づかされるようになりました。
そのようにして猫の多い街という印象を持つ街になったのです。

退職後の人が多く住む地域ですから、そこにはやはり悲しい現実があり、
毎月1人は誰かが亡くなるという現実を聞かされました。
そうなると、とても寂しい街に映ってしまうかもしれませんが、決してそんなことはありません。
日本のイメージからすると、年を取った方々が多い地域 = 過疎 というような印象がありますが、車で5分も走ればそこには30~50代の人が家族と住む地区があり、まるで映画の「ベートーベン」や「back to the future」に出てくるような街が広がっているので過疎地と言うような印象は全くありません。似た境遇の人がまとまって住んでいるとてもバランスが取れた地域でした。
また80才過ぎのお婆さんが自転車をこいでエクササイズをしていたり、
私の知人でやはり80才近いお爺さんですが、バイクが大好きで、よく
「ちょっと走ってくる」と言って、ハーレーにまたがって走っていってしまったりしました。
まあそこまでいかないにしても、デッキで夕涼みをしていたり、
家庭菜園を作ったりと、病院に通うことが多くの割合を占めている日本と比べると、
それぞれ老後を満喫している様子が見て取れました。


日本でも団塊の世代が退職をするとされるここ数年において、
「老後はフロリダかカリフォルニアで」とまではいきませんが、
似たものとして、「老後は田舎で」という流れは起きてきていますね。
最近、そのあたりにフォーカスを当てたテレビ番組をよく目にします。
では日本でも同じように猫が増えるのでしょうか?
きっと猫はそんなに単純に増えないでしょう。
ただ、既にまた別の流れが日本でもおきていると、
ペットを通して気づかされたことがあります。
そのことについては、長くなってしまうのでまた次の機会に書きたいと思います。
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by naomedia | 2006-09-06 19:37 | アメリカ
焚き火の持つ力
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火はものを焼き、人を暖め
料理の味を変え、暗闇に明かりを灯し安心も与えてくれます。

人間は火の持つ熱や光を活用し、生活に活用してきましたが、
火には意外に気づかない他の力があるのではないかと
キャンプファイヤーをしているときに気づかされました。

その力とは焚き火には人の心を開かせてくれる効果があるのではないかということです。これはレストランで灯っている蝋燭なども似たような力を持っていると思います。
暗闇の中で燃えるほのかな火はそばにいる人間を安心させリラックスさせてくれます。
これは、蛍光灯よりも、電球の方が人の心をリラックスできるというところにも見て取れるでしょう。

でも焚き火を前にすると、このリラックスの状態とはまた少し違った感覚を火は私たちにもたらしてくれると思います。
夜、キャンプファイヤーのように火を囲んでいると、人は自然と誰に教わったわけでもなく話をしはじめ、その内容はどこかしんみりとし、聞き手は相手の話に真剣に耳を傾け、そのうち聞き手に回っていた人間も自分の話もしたくなるものではないでしょうか。
私の経験からするとその状況で話すテーマは人生や将来、またはこれまでの経験の話をすることが多い気がします。

どうして、炎を眺めているとあのような心を開く状況になってくるのでしょうか。
私が例に挙げている焚き火はキャンプファイヤーのような比較的暖かい季節に取り囲んでいることをイメージしているので気候や自然の中での雰囲気が人の気持ちを開放的にしてくれているということも考えられます。
現時点では、私も心を開く状況を作り出す要因はわかりませんが、ひとつ感じているのはあの炎の"ゆらぎ" そしてほのかに伝わってくる"暖かさ"が関係しているのではないかと感じています。

e0011904_22163290.jpg心を開く状況を作り出すひとつの要因として、
まず焚き火の作り出すあの明かりとほのかな暖かさが心をリラックスさせ、そして
炎の持つ揺らぎが話し手の顔をドラマチックに映し出し、話をとても感傷深く聞かせてくれ聞き手を引き付けるのでないかと思うのです。
それらの効果が次第に、話し手には自分の話をとてもよく聞いてくれているという印象を与え、話を続けやすくしますし、聞き手には、話し手が普段、自分に普段は話さないようなことを一生懸命話してくれているという印象を与え、真剣に耳を傾けお互いが心を開いて打ち解けられる心地よいシチュエーションを炎が作り出してくれるのではないかと思います。

もう夏も終わりに差し掛かり、キャンプファイヤーをするような機会も少ないでしょうが、もし焚き火を囲んで話をする機会がありましたら、そんな心地よさを感じてみてください。

親子同士のコミュニケーションが不足し、それが原因で、家族の中で殺人がおきてしまうような最近において、リビングのソファーで話をするだけでは、普段閉じてしまっているお互いの気持ちを開くのにいたっていないような気がします。
それでは、いくら長い時間接していても心の共有にいたっていないのではないでしょうか。
お互いの心をうまく開く手段のひとつにキャンプでした焚き火のように、うまくお互いの心を開き合える状況を作り出すことも今の生活には必要なのかもしれません。
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by naomedia | 2006-09-02 23:02 | カルチャー・エデュケーション