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ビックバードに会いに行こう
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私が写真好きだと知っている知人が、アメリカ滞在中のある日、広大なブドウ畑やアメリカ版朝市など様々なところに連れて行ってくれました。

ちょうどブドウ畑を撮影し終わったとき、
「じゃあ次はビックバードを会いに行こう!」というのです。「ビックバード!?」と聞き返したのですが、その方はまあ着けばわかるよという感じの表情で私に笑いかけてきました。
その表情を見て、私を驚かせようと何かたくらんでるなと思い、そのまま私も質問せずについていったのですが、移動中、頭の中ではセサミストリートに出てくる黄色い大きなキャラクターと、現実的な話で考えるとダチョウ牧場かなと二つのイメージが交錯していました。

e0011904_20305245.jpg着いたところは、今にも壊れてしまいそうなフェンスで囲われたサッカー場半分くらいの広さの空き地でした。私がそのフェンスに近寄るとまもなく遠くからダチョウが3羽駆け寄ってきたのです。
やっぱりダチョウ牧場だったか。と思いつつ写真を撮り始めたのですが、やはり近くで見るとダチョウは大きさに驚かされます。ダチョウ自体はそんなに珍しい動物ではありませんが、今まで動物園でしか見たことがない私にとっては、一枚のフェンス越しに突っつかれない距離を保ちつつ近寄ると細かいところも見えて迫力が違います。
しかも、近くで眺めていると意外とかわいい動物だなと気づかされました。アニメのなかに登場するダチョウは滑稽なキャラクターやどこか間抜けに描かれていたりする印象がありますが、それもあの好奇心旺盛な性格で寄ってくる姿と、表情に接していると理解することができました。

撮影が終わり、また車に乗り込み別の場所に移動しているとき、来るときには質問できなかったのでいろいろと質問をしてみました。
「あのダチョウって、食べるために飼ってるの?それとも皮のため?」と私が聞くと、
「違うよ。ただのペットだよ」というのです。
「ペット!?」
私がダチョウ自体にあまり驚かずにちょっと拍子抜けだったその方も、私のこのときの表情には喜んでいました。
「そう、ただのペットだよ。あの家の人、ダチョウが好きで飼ってるんだ。よくこの辺りに住んでる人は、みんなああやって立ち寄って眺めてるよ。」というのです。
牧場にしては3羽しかでてこないから、きっともっと奥にたくさんいるんだろうなと思っていた私のイメージがそのとき初めて壊れました。

最初にペットと知ったときは、わざわざダチョウをペットにするなんて変わった人なんだろうなと感じていたのですが、今となって振り返ってみると、全くの初対面の私が到着したとたんに100mも先からすべてのダチョウが近づいてきてくれたり、その場で興味を示してこっちを眺めている姿は、意外とかわいいし、3羽で家族のように過ごしている姿は一緒にいて面白いペットかもしれないと思うようになりました。しかも頭では「大きな鳥」と理解しているのですが、実際には珍しいラマなどのちょっと変わった動物と接している印象を受けたのです。

もし興味のある方は、ペットにいかがですか?僕は詳しいことはわかりませんが、
日本でも食用のための牧場があるくらいですからペットとしても飼えるはずです。
気候は沖縄から北海道まで問題ないようですし、ダチョウ用の餌も市販されているようです。
ただ広大な土地と、寿命が80年くらいはあるようなので、かなりの覚悟が必要だと思いますが。


その他のダチョウの写真はこちらで見ることができます。
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by naomedia | 2006-10-29 20:18 | アメリカ
流れ星が奏でた音
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今回も前回取り上げた流星の話を書きたいと思います。複雑な内容ですがお付き合い下さい。(まだ前回の記事を読まれていない方は読んでからの方がわかりやすいと思います。)

あの流星を見たとき、実はほぼ同時かワンテンポ遅れて「シュー」や「パリパリ」又は「パララ」というような音を聞いた気がしたのです。
その音はまるで打ち上げ花火の「ヒュルルルー・ドーン・パララ」という一連の音の中のパララの部分と同じような音だった気がします。
最初は流星の音を聞いちゃった!と思ったのですがやはりそれは現実的ではありません。
前回の記事でも書きましたが流れ星が光る高度は70kmくらいで、もし真下に立っていたとしてもその距離は70km、実際は真下で見るようなことはまずありませんからそれ以上、離れているはずです。
気のせいで片付けてしまうのもつまらないのでいくつか自分なりに仮説を立ててみることにしました。


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まず流星の燃える音が届くのが本当に不可能なのかを考えてみました。
もしこの流星が私の真上で光っていたとするならば私からの距離は70kmです。そして音の速度は1秒あたり340mなので計算すると、燃えた音が私に到達するまで約3分26秒かかる計算です。一瞬遅れて聞こえたというのとは大きく差があります。
真下で打ち上げ花火を見ていても少し遅れて聞こえてくるわけですから、70km以上先の音が同時に聞こえるのは不可能なのです。


















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仮説1で音速以上でないと届かないことがわかりました。それ以上の速さで伝わるものを探すと、大気に突入する際に発生する衝撃波があるのではないかと思い調べてみました。
音速以上の速さで進むものが空気とぶつかると衝撃波(ソニックブーム)が発生します。
これは圧縮された空気の塊で音速よりも早く伝わります。そして伝わるにつれてエネルギーを徐々に失った衝撃波は、音速と同じ、もしくはそれよりも遅くなると「ドン」という音として伝わります。またその力は、窓をカタカタと揺らすくらいの力があるようです。事実、1996年につくば隕石として知られる隕石が私の町の上空で破裂し落ちてきたときに、友人の父親は、大きなドンという音と同時に窓の揺れを感じ、交通事故だと思い外に出たといっておりました。
しかし、これでは私の感じた音とは違います。またいくら音速を超えた速度を持つ衝撃波とはいえ、70kmをそんなに速く伝わるとは思えません。そこであの速度で伝わるとするなら、光や電波の速さでないと無理ではないかと感じるようになりました。




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これは大気に突入する際に生まれたプラズマから発生した電磁波が地上に達したという考えです。
そもそも電磁波の伝わる速度はどのくらいのものか調べてみると空気中では電波と同じ速度であることがわかりました。
テレビを見ていると遠くの中継が少し遅れて伝わるという現象が発生します。もしあの流星が70kmという距離ではなく、かなり離れていたとするならば一瞬送れて聞こえたという間も納得できます。
とはいえ、電磁波は耳では聞こえません。
ただ電磁波が届いたときに、私の脳が音として認識したと考えるなら、聞こえた気がするというどこかあいまいな体験も理解できるのです。耳で直接聞いたという感覚ではない、自信がないというのも私自身納得できるのです。


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結論を申しますと、電磁波が怪しいのではないかというところまでしか今回は突き止められませんでした。ただ私と似た体験をされている方は何人もいるようで、こちらのサイトにもそのような存在があるのではないかと書かれていますが、やはり科学的な裏づけはないようです。

電磁波の音を聞いたというと、突拍子もない意見と思われたり、私が変な感覚の持ち主かと思われてしまうかもしれませんが、皆さんもこんな経験をされたことはないでしょうか?
自分のポケットに入れておいた携帯電話を取り出したとき、携帯の画面が「Eメール受信中」の表示だったりすることです。いつも偶然だなと思いますが、それにしてはタイミングよく取り出すことが多かったりします。
これは一種の電磁波の影響ではないかなと私は感じています。携帯電話は私たちが使用する道具の中では1、2位を争う電磁波を発するので、受信中に無意識に手が伸びているのではないかと思うのです。

原因はわからず推論で終わってしまいましたが、まだまだ人類には未知のことばかりの宇宙から届けられた神秘の音を感じたのだろうと、心にとどめていきたいと思います。

<リンク>
参照サイト ・・・ http://www5e.biglobe.ne.jp/~shibaya/index.html
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by naomedia | 2006-10-21 15:50 | カルチャー・エデュケーション
7年前の流れ星を追いかけて
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オリオン座流星群が21日の晩に一番よく見えるようです。あまり流星の数は多くないようですが夜空を眺めるいい機会になりそうですね。

秋の流星群というと7,8年前のしし座流星群を思い出します。1999年のことだと思うのですが私もベランダから夜空を眺め、とてもすばらしい天体ショーを経験することができました。一夜で数え切れないほどの流星を見たのですが、その中に1つとても印象に残っているものがあります。


その流れ星は下の左図のようなもので普通の流星ではなく、
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まるでディズニー映画で魔法をかける瞬間に現れるような形で、しかもとても明るく夜空を駆け抜けていきまいた。
その瞬間、それまで人の気配を感じることもないくらい静かだった周囲から「おおっー」という歓声が上がったのです。

しかしこの流れ星はそれで終わりではありませんでした。
その流れ星の通った形がぼんやりと空に残っていたのです。まるで打ち上げ花火の後に残った煙のようでした。最初は明るい光を見たので、太陽を直接見てしまったときのように目に残像が映っているのだと思いました。しかし1分経ち、2分経つうちにやはり目の錯覚ではないと気づかされ、その煙のようなものは3~4分後には少しずつ飛行機雲が消えるように崩れていき消えてしまいました。
しかしその後はその煙のようなものがやはり自分の気のせいかと思っていたのですが、今回色々と調べてみると流星痕というものの存在に行き着きました。
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流星痕とは明るい流星の後に見られる飛行機雲のようなものですが、1,2秒ですぐに消えてしまうものを短痕と呼びます。
それとは違い、まれに十数秒から数十分にもわたり空中で光るものがあり、それを永続痕と呼び、私が見たものの特長がぴたりと一致します。
長時間の発光と共に高層の風の影響で徐々に形を変え消えていくというのです。しかし、この光の正体は何が光っているのか未だにわかっていないそうです。
永続痕の写真はこちら (肉眼ではこのサイトに掲載されているような写真ほど明るくは見えません。)

短痕の1,2秒の光はプラズマが光っているとわかっていて、その発光の仕組みはオーロラの発光と同じとされています。
オーロラと聞くと、私が見たほのかな光もオーロラに近い光だったのでは!と思ったのですが(オーロラを見たことはありせんが。)永続痕はやはりプラズマが光っているわけではないようです。
それはプラズマが光る仕組みを知ると理解できます。

そもそもプラズマとは、物質の状態である固体・液体・気体を超えたその先にあるもので
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とても高温の状態などで発生し、原子と電子が分離した状態を呼びます。(流星が光るときはとても高温なのでこの状態になります)
このとき分離した電子が、高速で大気の酸素原子と衝突すると、酸素原子は余分なエネルギーを放出しようと光るそうです。
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つまり高速で衝突している短い時間しか光らないのです。そのため、永続痕は何かの物質が燃えているという推測になっているのだと思います。


永続痕はとても珍しいもので、なかなか見ることができませんがしし座流星群では現れる確立が高く、そのため観測の準備もできたため写真も残りました。
永続痕が現れやすい条件とは以下のものです。
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特にしし座流星群では垂直に入り、速度が上がる条件がそろったため見ることができたといわれています。



自分の錯覚かもしれないと思っていたことが今回調べてみると実際に存在することがわかり調べれば調べるほど、出会えたことに一層の喜びを感じるようになりました。
今回見られるオリオン座流星群は、ハレー彗星が落としていった塵が振ってくるため、通過後、既に17年が経ったことで年々数は減ってきてしまっているようですが、今年も素敵な出会いが空やからやってくるといいですね。


(難しい内容になってしまいすみません。
私も今回勉強したものばかりですので、間違っているところがあればご指摘ください。)

参照サイト
Stellar Scenes
流星の部屋
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by naomedia | 2006-10-19 01:18 | カルチャー・エデュケーション
50mを泳ぎきった気分
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先日、これまでの記事を数えてみるとちょうど50回でした。今のようなペースで更新を始めたのが去年の10月中旬なので、1年で50回となりました。(都合で半年は休んでいましたが。)
毎回違うテーマを取り上げる為、方向性を見失うことや、自分のスタイルを未だに模索している状態ですが、来て頂いている皆さんには本当に感謝しております。

実はこのブログを始めるときにテーマが設定できなかったため、ルールを決めていました。
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その後、書いているうちに1つ加え
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これらのルールの中で書いてきました。ただ最近は同じような展開も生まれてしまうので
ルールに縛られすぎずに書いてみようと試行錯誤しています。

ブログを書いている人は感じている方も多いと思いますが、更新を続けていると悩みが生まれることがあります。代表的なものは「書きたくなくなったらどうするか」「来てくれる人が少ないのをどうするか」等です。そんな困った状態になったとき私は
「ウェブログ・ハンドブック レベッカ・ブラット著」を何度も開いています。
この本にはどのブログサービスがいいかや、訪問者をどのように増やすかなどというような一般的なブログの指南書のようなことは書いてありません。
書いてあるのは「ブログを通して得られる大切なものは何か」です。読みやすいですがとても分析的です。ブログの持つ本質について書かれています。
実はブログを始める前に一度読んでいたのですがそのときには理解できない内容が多かった記憶があります。逆に言えばブログを運営していて初めて直面する問題について詳しく書かれています。


e0011904_0314215.jpg著者のレベッカさんはカリスマブロガーで、ブログが誕生した頃からブログを運営し、世界中に拡大してきた様子や自分や他の人のブログの体験をもとに書かれているので他の本に比べ説得力があります。
実はレベッカさんとは講演で来日した際と、米国で1度ずつお会いしたことがあり、お会いする前に本は読んでいましたが、当時私はまだブログを持っていなかったためブログについての話をあまりしませんでした。今は後悔ばかりです。しかし2度お会いしたことが私にブログをやってみようという気持ちを与えてくれました。





本の内容は運営についてが多いですが、こんな一節があるので紹介したいと思います。
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ドキッとさせられる文章ですが、閲覧数は誰でも気にしますし、ブログを書いている以上少しでも多くの人に見てもらいたいものです。もし誰にも見られなくていいというなら、ブログを公開する意味がなくなってしまいます。
私が書く目的を失いかけてしまうときも、ほぼこれらの要素が関与しています。
閲覧数を意識しだすといつまでたっても満足できないものです。人気ブログを運営しているレベッカさんですら数には不満ばかりだと本の中で書いています。
ブログをつけることで何がプラスなのか、他の人とのコミュニケーションなのか、知っていることを共有したいのか、自己表現したいのか、目的を忘れずに更新していきたいですね。

タイトルの50mを泳ぎきった気分とは、迷いながらもスタイルを変え書いてきたのが、50mのプールを何度も足をつきながら泳ぎきった気分に似ていたのでつけました。私自身、安定しないスケジュールで動いているのでいつまでこのブログを続けれるかわかりませんが、いい記事を書けるようになることを目的に更新していきたいと思っています。
そのためには、今回のように1800字も書いているよな文章ではなく、まずルール⑥として「800字に収める」を加え、少しでも簡潔に書けるように努力したいと思います。


<参考文献>
ウェブログ・ハンドブック
レベッカ ブラッド (著)   毎日コミュニケーションズ

<リンク>
ウェブログ・ハンドブック 立ち読みコーナー
レベッカ ブラッドさんプロフィール
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by naomedia | 2006-10-15 00:28 | カルチャー・エデュケーション
不都合な真実
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この夏、アメリカでは地球温暖化への関心が非常に高まっていました。どのニュース番組を見てもglobal warming=地球温暖化についての話題ばかりで、この夏一番多く耳にした単語だったかもしれません。
この状況は驚きの連続でした。車社会、石油垂流し、CO2削減を約束した京都議定書の破棄という無関心なアメリカ像とは正反対なものがそこには存在し、1本のドキュメンタリー映画が全米で旋風を巻き起こしていました。

それは「不都合な真実」(英題An Inconvenient Truth)」という映画で元副大統領のアル・ゴア氏が制作したものです。
この映画ドキュメンタリーということもあり最初は77スクリーンという小規模な公開で始まったのですが、それでも全米top10に入り、その後徐々に拡大していき映画もゴア氏も注目を集めていました。(私も滞在中に知人と見に行く予定だったのですが急用で行けず、その後まもなく帰国となってしまい、今でも現地で見られなかったのが心残りです。)
私の滞在地の近くの書店にゴア氏がスピーチに来た際には、著書にサインをもらうのに3、4時間待ちの末会えたと会いに行った人は言っていました。
この人気ぶりに最初は、先の見えないテロ対策一辺倒のブッシュ大統領に対しての反感がゴア氏支持へと結びついているのかと思ったのですがそうではないようです。
何人もの人に聞いても、彼は次回の選挙に出馬するほどの支持はなく、本人も出る気はないと言っています。純粋に人々の感じていた危機感が、この映画を皮切りに噴出したのです。

前回の記事で私は日本での取り組みが徐々にうまくいっていると書きましたが、あの騒ぎ方を見ていると今のペースでは遅すぎるのではないかと何度も感じさせられました。
日本では温暖化といえばヒートアイランドのように都会に集中して問題視されていますが、
米国ではいつも地球全体の変化を取り上げており、どこかの都市に注目したものではなかったのです。

冒頭で少し京都議定書のことに触れましたが米国では多くの人がそのことで心を痛めていました。それを表す印象的な言葉を私は知人から聞かされました。
「私たちはあの約束を守りたいし努力したい、でも国が一方的に破棄してしまった。他の国の人に申し訳ないし政府に憤りを感じる」というものです。この言葉を聞いて、また私の中での環境に配慮しないアメリカ像は崩れました。まず普通の人が日常会話の中でこんなテーマを日本ではしないですし、CO2の削減を自分でしようとする気持ちすらなかったからです。
そんな良い方向を感じた反面、残念な現状もありました。
「関心はとても高いし危機感はあるけれど、それ以上に多くの人が海賊の映画のほうが好きみたいね。」というものでした。
この二つの言葉に、今の米国の実情を垣間見た気がします。

日本での公開は来年の1~2月のようですが、六本木では10月28日からの公開が決まったようです。
日本でも旋風を巻き起こし、多くの人に目を背けてきてしまった不都合な真実に目を向けさせることができるのか。運良く私は日米両方の反響が見られそうなのでどのように受け入れられるのかその様子を注視してみたいと思います。



日本の公式サイトが最近オープンしたのでリンクを貼っておきます。
予告映像がすぐにご覧いただけます。
公式サイト・・・不都合な真実
書籍版・・・不都合な真実
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by naomedia | 2006-10-10 23:57 | 映画
変わる環境問題への取り組み
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10数年前の環境問題への取り組みといえば、空き缶や古紙回収の呼びかけ・実施を地域で行う地道なものでした。
前回の記事でも少し触れましたが私の小学校でも活動をしていましたが、おそらく今は行われていないでしょう。
それはあの頃リサイクルに回そうと回収していたものの多くが、今では分別して捨てざるを得なくなりほとんどの人が強制的に参加させられているからです。

90年代の典型として、こんなにゴミとして処分してしまっている、無駄遣いをしているという統計をみせた後、それらにはまだこんなにポテンシャルがあると紹介しみんなで取り組もうという訴えでした。
最近でも同じようにまず危機感を伝え、これ以上悪くならないように行動しようと訴える構造に大きな差はありませんが徐々に変化し2000年代のスタイルが生まれてきていると感じています。

その象徴的なものがテレビで放送されている「素敵な宇宙船 地球号」と流行の「ロハス」です。
「地球号」の中では単に危機感を伝え、さあみんな取り組もうというような押しつけがましい構成をしていません。
まず多くの人が興味をもちそうなテーマから入り、それらが悪化してきている現状を伝え、そしてそんな中でもうまくいっている取り組みを紹介しています。
ここで注目して欲しいのはうまくいっている結果報告が含まれているということです。
そしてロハスにおいては生活全体を楽しみながら無理なく環境にやさしい方向で生活していけるような取り組みを提案しています。しかもオシャレに。
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これらのことを見て私が感じるのは、10年前のダメだダメだとばかり危機感だけを煽るやり方に限界が見えたということです。
以前の活動では、普通の人がするには少し腰が重くなってしまうことを進んで取り組もうとしていましたが、やらない人にとってはいつまでたっても一部の活動者と見られてしまっていました。
また、ダメだダメだとアナウンスをいつもされているがゆえに、取り組んでいる人たちにも「やらない人がいるのだからこんな活動をしていても効果はないのではないか」と離れさせてしまう結果を生んでしまいました。

このダメだと伝わることでの悪循環は今のプロ野球人気問題にも似ていないでしょうか?
試合がつまらない、人が集まらない、視聴率が上がらないとばかりアナウンスされていると私たちは興味を失いかけていますし、もしいい試合があっても先入観から「どうせ」とチャンネルを回してしまたりスタジアムから足が遠のいてしまっているでしょう。
いいところを紹介すれば、春のWBCや夏の甲子園のように全国民の興味を惹きつけられるだけのポテンシャルが野球の中にはあるはずなのですがどこかに潜んでしまっています。


危機的な現状を紹介することは最初こそ大きなエネルギーとなりインパクトはありますが、繰り返すと徐々に人の気持ちも興味もモチベーションも下がってしまうのです。
とはいえ危機感を伝えることはとても重要です。まず私たちがどうにかしなければということに気づかなければ何も始まらないからです。
しかし今の日本において、環境問題について知らない人はまずいないでしょう。
危機を紹介する時代は終わったと思います。
これから大切なことは自分たちの活動がうまくいっていることもアナウンスされ、
そして取り組むことが現状のかっこいいという認識から自然なこととして受け止められることだと思います。
それはかっこいいには賞味期限があると思うからです。
取り組むため入り口にはとてもいいものですが長い期間
「エコライフ(ナチュラル志向)=素敵な生活」の形が保たれるとはあまり思えないのです。
取り組むことが、まずかっこいいライフスタイルとしてこれからの日本の生活として定着し、
その後ごく普通なこととして取り組んでいられる時代が今後10年間で根付き、
10年後にはより上のステップの活動が行える土台が生まれていれいて欲しいと思います。
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by naomedia | 2006-10-09 00:28 | カルチャー・エデュケーション
心の中で生き続ける体験
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子どもの頃の経験したことは大切です。
もし小学生の頃、私が描いた作品が入選していなかったら、きっと私はデザイナーになっていないでしょう。

初めて自分のデザインが社会で利用されるようになったのは大学生のときに採用されたロゴだと思っていましたが、もっと広く振り返ってみると自分のデザインが初めて多くの人に使われたのは小学校5年生のときだと気づきました。

私の通っていた小学校では、空き缶・古紙回収など環境問題への取り組みを行う、アースデイという日が毎月ありました。
そのアースデイが始まるとき、登下校時に肩にワッペンをつけることになり全校生徒がアイディアを一案ずつ出したのですが、そのときに採用されたのが私の描いたデザインでした。
そのデザインは、印刷会社によって本格的なワッペンに仕上げられ、登下校時にみんながつけている姿、私が卒業後もつけて登下校している小学生を見て、自分の制作したものが利用されている喜びと、多くの人が使用している責任感を感じたものです。
私が今、デザイナーとして日々感じていることと同じ事を小学生のときに私は味わうことができたのです。

e0011904_2124437.jpgその後、モノを作ることとは離れて過ごしてきたのですが、進学する大学を選ぶ高校2年生の段階になって初めて私は、大学進学と就職はセットでやってくる現実に気づかされ、大きな不安に包まれました。
就職はずっと先と思っていましたが、わずか17年間の人生で経験したことの中から導き出さなければならなくなったのですからパニックです。

小学生の頃には、新幹線の運転手や教師というように自由な発想で将来像を思い描けていましたが、高校生にもなると自分の偏差値、学費、進学後の評価など様々なプレッシャーがかかり、自分のなりたい将来像を描くのにどんどん視野を狭めていってしまいます。
このプレッシャー自体は、将来の決断をするのですからしょうがないのですが、
でも、そのときに自分の将来の目標が定まらないのはいい状態ではありません。
大学で将来の夢を見つけることもあるでしょうが、やはり大学を選ぶ段階で大きな目標は決まっていた方がいいものです。



この選択を行うときに、小学生のときに経験した喜びや持った夢、経験はその選択に大きく関わってくると思っています。きっとその頃には、何にも束縛されない自由な自分の考えがあったと思うからなのでしょう。
私の場合は運良く、絵を描くことで多くの人に使われたときの喜びという経験があったので自分の好きな道に進んでこれましたが、正直に申しますとあの選択を行うときに、教師とデザイナー以外の選択肢はあまり想像できませんでした。
小学生の頃にもっと多くの経験ができていたならば私の人生はまた違った方向に進んでいたことでしょう。

「百聞は一見に如かず」という言葉がありますが、私は
「十見は一体験に如かず」だと思っています。
牛という動物すら知らない人間が100回、牛の乳搾りについて聞くよりも
1回見た方が遥かに理解することができるでしょう。
同じように10回様々な職業見学に行くよりも
1回体験した方がずっと多く楽しみ、喜び、苦労、コツ、行程などが理解できるでしょう。
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という順序で吸収する情報は多く、一度体験するとその後もその仕事に興味が沸いてくるものです。
音楽でもそうですね。
家でCDを聞いているよりも、一度コンサートに行ったアーティストの方が遥かに心に残りますし、その後も強く興味が沸いてくるものです。
体験したことは、一時期だけでなくその後も生き続けるのです。

様々な職業の体験できるキッザニアですが、多くの子どもがそこで体験したことを通して、自分の心に私の将来という種を撒き、その後もその成長を手助けし、10年後、20年後にその花をさせて欲しいと思います。


キッザニア・・・・公式ページ
キッザニアについて・・・東京キッザニア広場
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by naomedia | 2006-10-04 00:26 | カルチャー・エデュケーション