周りの人々に支えられながらどうにか生活の準備を整えることができました。 部屋探しから始まり、携帯電話、ソーシャルセキュリティナンバーの取得、銀行口座を開き小切手を持ち、車を購入し、運転免許も取得できたところでようやくこちらに住んでいるという実感が湧いています。 といいますのも、これまでは日本に送るメール等にどうしても「暮らしている」と書けませんでした。心の中でどうしても滞在しているという気持ちが抜けなかったのです。 タイトルにもありますが、先々週、無事カリフォルニアの運転免許も取得でき車を運転できるようになったことが、自分でも信じられないほどに精神状態を一気に大人へと変えてくれました。 不思議なもので自分の足で地面に立っているよりも、あの密閉された空間である車に乗っている方が、ああアメリカに住んでいるのだと実感が持てます。 また免許が届き、これまでIDとして常時携帯していたパスポートを持たなくて済むようになったことも大きいかもしれません。 家から大学の研究所まで、直線距離にして約4キロと自転車で通えるため車を買おうかどうか迷う時期がありました。 また買うと決めてからも日本では車を運転することは週末にはありましたが、自分の車を持ったことがなかったため、車を購入するまでの決断と保険の仕組み等、どうすればいいのかよくわからない不安が続きました。 マイカーを初めて買うときにはいろいろ感慨深いものがあるのではないかと子どものころから想像していたのですが、購入、運輸局に届け出、保険、免許試験のための練習と全く感慨に浸ることもなく過ぎてしまいました。 何よりも買ったものの、本当にアメリカの道路を走れるかどうかが不安ばかりで喜びはそれぞれ心配していたことが無事にクリアできたという安心からでした。 アメリカの道路を走った感想は、意外にも車線が逆なことにはすぐに対応できるということです。知らない道を走ったり、他の人とおしゃべりしながらの運転は未だに大変ですが、車線が逆なことには1週間で慣れました。 試してみるまでは不安でいっぱいでしたが、乗ってみたらば大丈夫だったというのが素直な感想です。 意外にも苦戦したことはウィンカーとワイパーが逆になることです。曲がろうとして何度もワイパーが動いてしまうという教習所さながらのことがありました。(今でもたまにやりますが、) まだ運転しているときは緊張しているので、なかなか気持ちに余裕はありませんが、車を運転して印象的だったことが一度ありました。 それは実技試験が終わり、合格を告げられた後、DMV(日本で言う運輸局の出張所兼免許センターのようなもの)から帰り道で、一本曲がる道を間違え 路地に入ってしまったときのことです。 試験が朝からだったのでまだ午前中でさわやかな太陽の光が街を照らしていました。知らない街でしたがどこか僕が小学校1年生の頃にテレビで見てテレビで見てアメリカに憧れを持つようになったときの街の様子と似ていた気がしたのです。 ああ、いつかアメリカに少しでいいからすんでみたい〜と思っていたことが今実現しているんだなとそのとき初めて実感できた不思議な体験でした。 自分で好きな場所に移動できることがこんなに意味を持つことだと感じさせられたことは今回が初めての経験です。 でもこちらに来て自転車で一日往復20キロまで頑張っていたことは、もう一度高校時代に戻ったようで奇妙な気持ちを持たされ、いい経験になったと 思っています。 日本で言えば、まだまだ若葉マークを付けなければならない未熟なドライバーなので慢心せず安全運転を心がけたいと思います。 #
by naomedia
| 2008-01-30 17:19
| アメリカ
珍しいものはあまり含まれていませんので、皆さんもどこかで見たことがある、またはご自宅の棚に置かれているものと同じものが写っているかもしれません。 このように一堂に集めてみると1つのモチーフでこんなに多種にわたるものが作れることが見えてきて面白いので取り上げてみました。 これらのふくろうは、10年程前に母が気に入ったふくろうを見つけてはコレクションしていたものです。 以前はいろいろな所を探してようやく見つけることができるのがコレクションのする喜びだったようですが、最近ではふくろうをモチーフにした商品が多く出回り、簡単に手に入るようになってしまったことから集めるのをやめたと本人は言っております。 確かに、以前に比べるとふくろうをモチーフにした置物をよく見かけます。 ふくろうのプチブームなのかもしれません。 様々な観光地や小物を扱うお店で頻繁に見かけるようになりました。ただ犬や猫ではなく、ふくろうという特殊な動物が多いのはちょっと不思議です。 ふくろうと同じようなポジションにいる動物には、キツネ、リス、シカ、タカなどがいると思うですが、やはりふくろうのバリエーションは他の似た動物の追随を許さないほど多い気がします。 ちょっと暗い印象のある動物としては意外です。 でも視点を変えて眺めてみると、ふくろうが多くなる理由が見えてくるんではないかと私は思うようになりました。 それはふくろうがキャラクターにしやすいということです。 絵を描くようになって気づくのですが、多くの人にかわいいと思ってもらえるキャラクターを生み出すのは本当に困難なことです。 キティちゃんをじっくり眺めてみると驚くほどシンプルな構成ですがかわいいと感じます。 しかしいざペンを握って猫のキャラクターを作ろうとしてもかわいいものはそう簡単には生まれてきてくれません。 キャラクター化すると、種類の多い猫や犬では象徴的な顔がなかなか見つからず、何の動物がモチーフなのかわからなくなったりしてしまいます。 そんな中でふくろうは、 もともと目が大きいので、普通に書いた時点でキャラクターらしく見え、既に目が平面状の顔の上にあるので、とても擬人化しやすく、そしてこのような顔をしているのはふくろう意外に思い当たる顔がないのでキャラクター化しやすいと感じます。 現に右図のように円と三角形のみで構成された図形でもデザインされたものに見えてくると思います。 このふくろうで起きている現象と同じようなことが起こるものにパンダがあると私は考えています。 パンダも目の周りが黒く大きくなり、しかもちょっとたれ目にみえ、そして特徴的な耳の形もかわいらしくしかもパンダ以外あのような耳の形も体の模様も持っている動物はいないのですぐに見た人はパンダだと認識できます。 もし機会がありましたら、駄菓子や小さなお店の看板に書かれているようなイラストを今度注意深く観察してみてください。きっとパンダが描かれていることが多いことに気づくと思います。 これはきっと、著作権や肖像権が厳しい世の中にあって、使用料が払えずキャラクターが利用できない商品や店舗において、もともとの姿をイラストにするだけで簡単にキャラクターになり、しかもかわいいという点で、パンダがよく使われているのだろうということに、デザインに携わるようになってから気づかされるようになりました。 今回、この記事を書くために我が家のフクロウの置物を数えたのですが、家の様々な箇所に置かれているので、結局いくつあるのかわからず、写真を撮影するのも途中で疲れてやめてしまいました。 おそらく置物の3分の1くらいが今回紹介できたもので、その他の絵や壁飾り、敷物なども含めると検討がつきません。 ただ、それらを撮影しないまでも眺めてみて感じたことは、同じくキャラクター化しやすいパンダはかわいい表情しか表現できませんが、ふくろうは、かわいい、りりしい、賢い、コミカル、間抜けな印象と、表情が豊かであることです。 とても人間らしく、眺めているとそれぞれ個性があって面白いのです。 もしふくろうのキャラクターと出会う機会がありましたら、どんな表情をしているふくろうなのかじっくり眺めてみると、そのふくろうの性格がわかって面白いかもしれませんよ。 #
by naomedia
| 2007-01-03 01:43
| カルチャー・エデュケーション
年末になると、様々なメディアで今年起きた重大ニュースを振り返る特集が組まれていますね。このような重大ニュースの特集を毎年見るたび、私は一つの思い出が蘇ってきます。 思い出となった出来事が起きたのは私が小学校4年生のときのことでした。 終業式も終わり、教室で最後のホームルームを行っていたときに冬休み中の宿題についての説明がありました。 休み明けに提出しなければならないもののリストは、配布された学年便りのようなプリントに書かれていたので確認で終わったのですが、担任の先生はその説明のときにうちのクラスだけの宿題を出すと言ったのです。 その宿題とは 「年末になるとテレビや新聞で今年の“ジュウダイニュース”がよく流れますね。その中からどれでもいいので気になったものを1つ決めて、自分の意見などもいれて原稿用紙1枚くらいに書いてきてください」というものでした。 先生のその場の思いつきのように出された宿題のため、内容を黒板に板書もせず、口頭での説明を各自が学年だよりの余白などにメモをとったのですが、そのことがその後私を苦しめることになりました。 “今年のジュウダイニュース”という言葉を私は“今年の10大ニュース”と受け取りました。その説明を聞きながら、そんなにいろいろなところで発表される10大ニュースならそれぞれのメディアで選ばれる10個のニュースは違ってきてしまうのではないか? 先生はいろいろなところで発表された10大ニュースをどのようにして発表されていたと判断するのだろうと不思議に思いながら聞いていました。 それから冬休みが始まり、テレビでも新聞でも10大ニュースが発表されるのを見逃さないようにしようと思い毎日チェックしていたのですが、その年に起きた大きなニュースを振り返るものはあっても、10個の大きなニュースがランキングされたものとは出会うことができないまま、年を越してしまいました。 年を越えてしまえば、たくさん放送されていた大きなニュースを振り返るものも一気に姿を消してしまいます。その状況になった私は、自分は10大ニュースの発表を見逃したのだと愕然とし焦りに焦りました。 クラスのみんなが10個の中から一つ選んで書いてくるのに、自分は大きなニュースだったなと自分で心あたりのあるものを書かなければならなくなったと思ったのです。 もしそのニュースが他の人と違っていれば、自分だけその発表を見ておらず、適当に書いたことが先生にバレてしまい怒られるのではないかと不安でいっぱいでした。 そんなに不安なら仲のいい友達にでも、どんなものを書くのか聞けばいいと思われるかもしれませんが、時期が正月なだけに実家に帰っていたり、普段遊ぶ友達と遊ぶような機会もないまま冬休みが明けようとしていました。 悩んだ末、冬休みの終わりも近づき、年末の新聞を山積みの新聞の中から引っ張り出し、できる限り無難な記事を選び書きドキドキしながら提出した記憶があります。 結局、提出後どこかのタイミングで、10大ニュースではなく重大ニュースを言うことが周りの様子からわかり、自分の勘違いに気づきました。 もしあの時、先生が“重大ニュース”と板書してくれていたら何も問題がなかったのですが、意味までも良く似た同音異義語のおかげで私は冬休み中ずっと苦労させられたのです。 この時期に重大ニュースの特集を毎年見るたびに、そんな勘違いの一人ドタバタ劇がそういえばあったなーと思い出してしまうのです。 ただいまだに疑問に感じることもあるのです。 それはあのとき、他のクラスメイトは何も思わずに“ジュウダイニュース”を“重大ニュース”に素直に頭の中で変換できていたのだろうか?ということです。 最近、漢字の変換ミスコンテストで「回答案です」が「怪盗アンデス」になってしまい面白いという記事がありましたが、あのとき私以外にも実は口にしなかっただけで同じように苦労した人もいたのではないかと思うのです。 今となっては確認の方法もありませんが、思い出すたびに顔がほころんでしまう年末の思い出です。 #
by naomedia
| 2006-12-26 22:37
| カルチャー・エデュケーション
私も、大学生の頃から手に入れられる限り読んでいる一人です。 この雑誌の最大の特徴である無料というところにばかり注目が集まりますが、私は25歳以上がターゲットという枠組みも新鮮だと感じています。 世の中には ○○歳以上がターゲットというように特定の世代に狙いを絞った商品は溢れていますが、R25という文字だけを見ると、ターゲットというよりも年齢制限のように感じてしまいます。年齢制限はだいたい20歳を過ぎればなくなりますから、25歳以上という枠組みが珍しく多くの人の興味を惹く一つの要因になったと思います。 20歳を過ぎると年齢制限そのものを意識しなくなりましたが、(唯一引っかかるとするならば25歳以上の被選挙権くらいのものだと思っていました。)先日、年齢制限で引っかかり少々驚かされました。 それは、この夏にアメリカでレンタカーを借りようと思ったときです。 日本では借りたことがありますし国際免許も簡単に取得できるので、気にもせずに現地に渡ったのですが、いざ必要に迫られ、とあるレンタカー会社のウェブにてオンライン見積もりを出そうとしたところ出てきた文字が、 「お客様は25歳以下なのでお貸しできません」というものでした。 この表示が現れたときにはさすがに、 「ああ未だに私は自分の行動の責任を認めてもらえていない幼い人間扱いなんだな」と感じさせられました。 アメリカには大きなレンタカー会社が2社あり、そのうちの1社の対応だったので少し驚かされました。どうしても車が必要でしたら、もう1社の方で借りようと思ったのですが、貸さないという対応の会社がある以上、他の会社で借りられたとしても保険料がかなり高くつくだろうと思い、結局不便を覚悟でホテルを目的地の近くに移動することで解決しました。 ※この記事を書くにあたり、もう一度確認のためにその会社のウェブサイトを確認してみてところ、なんとこの秋から年齢制限が下がり、25歳以下でも借りられるようになっていました。ただしヤングドライバーという特別料金はかかります。 R25では、サラリーマンのムーブメントを取り上げる大人の雑誌としてのボーダーが25歳、レンタカー会社の見解では25歳未満はまだ貸し出せないというボーダーライン。 毎年荒れると騒がれながらも成人式を超えれば大人という社会の認識とは違い、 25歳に、もう1段上の大人へのボーダーラインがある気がします。 #
by naomedia
| 2006-12-19 23:35
| アメリカ
ずっと同じパッケージなので、慣れてしまいあまり気に留めることもなかったのですが、最近久々に手に入れ、食べ終わった箱が机の上に置かれたままになっていたときにこのパッケージの持つ強さに気づかされました。 普段雑誌などでパッケージのデザインとして取り上げられるのは、オシャレでかっこいいものや、シャンプーのTSUBAKIのようにコストをかけて差別化を図っているものにばかりです。 しかしこのパッケージは立方体の箱に2色(白ベースの箱では青色の文字が加わります)で印刷されているだけのとてもシンプルで安価です。しかしそれにも関わらず、存在感がある面白いものなので思い取り上げてみることにしました。 この箱を冷静に眺めてみると、パッケージで大切な商品名は小さく、1つの面のドットの中間に書かれているという控えめなものです。 私たちにとっては既にこのパッケージ=キャラメルと反射的にわかってしまいますが、初めて見たと考えるとどんなものが入っているのか、どんな味がするかも想像しにくいのでかなり大胆なデザインに思えます。 しかし視点を変えると駄菓子屋さんを訪れた子どもにとって、限られたお小遣いのなかでお菓子も買いたい、でも安いおもちゃも買いたいというニーズのどちらにも答えられ、子ども心をついたデザインなのかもしれません。 試しに食べ終わったこの空き箱の蓋を閉め、転がしてみるとちゃんとサイコロとして機能しているのでうれしくなります。 中身のキャラメルももちろんおいしいのですが、とはいえこの味が食べたい!というほど中身に惹かれるわけではありません。比較的、普通なキャラメルが一箱につき2つずつ入っているだけです。やはりこの商品が長い間残っているのにはやはりこのパッケージの持つ存在感が多くの人を惹きつけている結果だと思います。 今回はサイコロキャラメルという懐かしいものを取り上げてみたのですが、本当の懐かしさと、自分の子どもの頃に感じていたものにズレがあることにも気づかされました。 それは駄菓子屋さんで、ああこれは懐かしいなと思いこのキャラメルを手に取ったのですが、お店の人には 「そのキャラメルね、子どもはあんまり買わないのよ」と言われたのです。 自分では懐かしいと思い手に取ったものが子どもには余り売れていないということに不思議だったのですが、説明を聞いてわかりました。 「それ、一つで100円するでしょ。だから高くて子どもは買わないのよ。」 この言葉を聞いて本当の子どもの頃の記憶が蘇ってきました。百円玉一つを握りしめて買い物に行っていたころ、確かに私もこのキャラメルには手が出せずにいました。 あれ1箱で100円なら、10円のガムや、チョコ、イカそうめんなどをいろいろ楽しめるものをバランスよく買うとしていたのです。駄菓子のイメージの強いサイコロキャラメルも当時の私としては、スーパーなどで売っている一箱100円のチョコと同じく高く手が出なかったものだったのです。 小さな紅白の立方体を通してデザインの持つ力のことから、子どもの記憶も都合のいいように書き替えられてしまっていたことにまで気づかされ、うれしくも何かを失ってしまった自分に寂しさを感じる出来事でした。 #
by naomedia
| 2006-11-23 11:28
| アート ・ デザイン
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