50mを泳ぎきった気分
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先日、これまでの記事を数えてみるとちょうど50回でした。今のようなペースで更新を始めたのが去年の10月中旬なので、1年で50回となりました。(都合で半年は休んでいましたが。)
毎回違うテーマを取り上げる為、方向性を見失うことや、自分のスタイルを未だに模索している状態ですが、来て頂いている皆さんには本当に感謝しております。

実はこのブログを始めるときにテーマが設定できなかったため、ルールを決めていました。
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その後、書いているうちに1つ加え
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これらのルールの中で書いてきました。ただ最近は同じような展開も生まれてしまうので
ルールに縛られすぎずに書いてみようと試行錯誤しています。

ブログを書いている人は感じている方も多いと思いますが、更新を続けていると悩みが生まれることがあります。代表的なものは「書きたくなくなったらどうするか」「来てくれる人が少ないのをどうするか」等です。そんな困った状態になったとき私は
「ウェブログ・ハンドブック レベッカ・ブラット著」を何度も開いています。
この本にはどのブログサービスがいいかや、訪問者をどのように増やすかなどというような一般的なブログの指南書のようなことは書いてありません。
書いてあるのは「ブログを通して得られる大切なものは何か」です。読みやすいですがとても分析的です。ブログの持つ本質について書かれています。
実はブログを始める前に一度読んでいたのですがそのときには理解できない内容が多かった記憶があります。逆に言えばブログを運営していて初めて直面する問題について詳しく書かれています。


e0011904_0314215.jpg著者のレベッカさんはカリスマブロガーで、ブログが誕生した頃からブログを運営し、世界中に拡大してきた様子や自分や他の人のブログの体験をもとに書かれているので他の本に比べ説得力があります。
実はレベッカさんとは講演で来日した際と、米国で1度ずつお会いしたことがあり、お会いする前に本は読んでいましたが、当時私はまだブログを持っていなかったためブログについての話をあまりしませんでした。今は後悔ばかりです。しかし2度お会いしたことが私にブログをやってみようという気持ちを与えてくれました。





本の内容は運営についてが多いですが、こんな一節があるので紹介したいと思います。
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ドキッとさせられる文章ですが、閲覧数は誰でも気にしますし、ブログを書いている以上少しでも多くの人に見てもらいたいものです。もし誰にも見られなくていいというなら、ブログを公開する意味がなくなってしまいます。
私が書く目的を失いかけてしまうときも、ほぼこれらの要素が関与しています。
閲覧数を意識しだすといつまでたっても満足できないものです。人気ブログを運営しているレベッカさんですら数には不満ばかりだと本の中で書いています。
ブログをつけることで何がプラスなのか、他の人とのコミュニケーションなのか、知っていることを共有したいのか、自己表現したいのか、目的を忘れずに更新していきたいですね。

タイトルの50mを泳ぎきった気分とは、迷いながらもスタイルを変え書いてきたのが、50mのプールを何度も足をつきながら泳ぎきった気分に似ていたのでつけました。私自身、安定しないスケジュールで動いているのでいつまでこのブログを続けれるかわかりませんが、いい記事を書けるようになることを目的に更新していきたいと思っています。
そのためには、今回のように1800字も書いているよな文章ではなく、まずルール⑥として「800字に収める」を加え、少しでも簡潔に書けるように努力したいと思います。


<参考文献>
ウェブログ・ハンドブック
レベッカ ブラッド (著)   毎日コミュニケーションズ

<リンク>
ウェブログ・ハンドブック 立ち読みコーナー
レベッカ ブラッドさんプロフィール
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# by naomedia | 2006-10-15 00:28 | カルチャー・エデュケーション
不都合な真実
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この夏、アメリカでは地球温暖化への関心が非常に高まっていました。どのニュース番組を見てもglobal warming=地球温暖化についての話題ばかりで、この夏一番多く耳にした単語だったかもしれません。
この状況は驚きの連続でした。車社会、石油垂流し、CO2削減を約束した京都議定書の破棄という無関心なアメリカ像とは正反対なものがそこには存在し、1本のドキュメンタリー映画が全米で旋風を巻き起こしていました。

それは「不都合な真実」(英題An Inconvenient Truth)」という映画で元副大統領のアル・ゴア氏が制作したものです。
この映画ドキュメンタリーということもあり最初は77スクリーンという小規模な公開で始まったのですが、それでも全米top10に入り、その後徐々に拡大していき映画もゴア氏も注目を集めていました。(私も滞在中に知人と見に行く予定だったのですが急用で行けず、その後まもなく帰国となってしまい、今でも現地で見られなかったのが心残りです。)
私の滞在地の近くの書店にゴア氏がスピーチに来た際には、著書にサインをもらうのに3、4時間待ちの末会えたと会いに行った人は言っていました。
この人気ぶりに最初は、先の見えないテロ対策一辺倒のブッシュ大統領に対しての反感がゴア氏支持へと結びついているのかと思ったのですがそうではないようです。
何人もの人に聞いても、彼は次回の選挙に出馬するほどの支持はなく、本人も出る気はないと言っています。純粋に人々の感じていた危機感が、この映画を皮切りに噴出したのです。

前回の記事で私は日本での取り組みが徐々にうまくいっていると書きましたが、あの騒ぎ方を見ていると今のペースでは遅すぎるのではないかと何度も感じさせられました。
日本では温暖化といえばヒートアイランドのように都会に集中して問題視されていますが、
米国ではいつも地球全体の変化を取り上げており、どこかの都市に注目したものではなかったのです。

冒頭で少し京都議定書のことに触れましたが米国では多くの人がそのことで心を痛めていました。それを表す印象的な言葉を私は知人から聞かされました。
「私たちはあの約束を守りたいし努力したい、でも国が一方的に破棄してしまった。他の国の人に申し訳ないし政府に憤りを感じる」というものです。この言葉を聞いて、また私の中での環境に配慮しないアメリカ像は崩れました。まず普通の人が日常会話の中でこんなテーマを日本ではしないですし、CO2の削減を自分でしようとする気持ちすらなかったからです。
そんな良い方向を感じた反面、残念な現状もありました。
「関心はとても高いし危機感はあるけれど、それ以上に多くの人が海賊の映画のほうが好きみたいね。」というものでした。
この二つの言葉に、今の米国の実情を垣間見た気がします。

日本での公開は来年の1~2月のようですが、六本木では10月28日からの公開が決まったようです。
日本でも旋風を巻き起こし、多くの人に目を背けてきてしまった不都合な真実に目を向けさせることができるのか。運良く私は日米両方の反響が見られそうなのでどのように受け入れられるのかその様子を注視してみたいと思います。



日本の公式サイトが最近オープンしたのでリンクを貼っておきます。
予告映像がすぐにご覧いただけます。
公式サイト・・・不都合な真実
書籍版・・・不都合な真実
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# by naomedia | 2006-10-10 23:57 | 映画
変わる環境問題への取り組み
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10数年前の環境問題への取り組みといえば、空き缶や古紙回収の呼びかけ・実施を地域で行う地道なものでした。
前回の記事でも少し触れましたが私の小学校でも活動をしていましたが、おそらく今は行われていないでしょう。
それはあの頃リサイクルに回そうと回収していたものの多くが、今では分別して捨てざるを得なくなりほとんどの人が強制的に参加させられているからです。

90年代の典型として、こんなにゴミとして処分してしまっている、無駄遣いをしているという統計をみせた後、それらにはまだこんなにポテンシャルがあると紹介しみんなで取り組もうという訴えでした。
最近でも同じようにまず危機感を伝え、これ以上悪くならないように行動しようと訴える構造に大きな差はありませんが徐々に変化し2000年代のスタイルが生まれてきていると感じています。

その象徴的なものがテレビで放送されている「素敵な宇宙船 地球号」と流行の「ロハス」です。
「地球号」の中では単に危機感を伝え、さあみんな取り組もうというような押しつけがましい構成をしていません。
まず多くの人が興味をもちそうなテーマから入り、それらが悪化してきている現状を伝え、そしてそんな中でもうまくいっている取り組みを紹介しています。
ここで注目して欲しいのはうまくいっている結果報告が含まれているということです。
そしてロハスにおいては生活全体を楽しみながら無理なく環境にやさしい方向で生活していけるような取り組みを提案しています。しかもオシャレに。
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これらのことを見て私が感じるのは、10年前のダメだダメだとばかり危機感だけを煽るやり方に限界が見えたということです。
以前の活動では、普通の人がするには少し腰が重くなってしまうことを進んで取り組もうとしていましたが、やらない人にとってはいつまでたっても一部の活動者と見られてしまっていました。
また、ダメだダメだとアナウンスをいつもされているがゆえに、取り組んでいる人たちにも「やらない人がいるのだからこんな活動をしていても効果はないのではないか」と離れさせてしまう結果を生んでしまいました。

このダメだと伝わることでの悪循環は今のプロ野球人気問題にも似ていないでしょうか?
試合がつまらない、人が集まらない、視聴率が上がらないとばかりアナウンスされていると私たちは興味を失いかけていますし、もしいい試合があっても先入観から「どうせ」とチャンネルを回してしまたりスタジアムから足が遠のいてしまっているでしょう。
いいところを紹介すれば、春のWBCや夏の甲子園のように全国民の興味を惹きつけられるだけのポテンシャルが野球の中にはあるはずなのですがどこかに潜んでしまっています。


危機的な現状を紹介することは最初こそ大きなエネルギーとなりインパクトはありますが、繰り返すと徐々に人の気持ちも興味もモチベーションも下がってしまうのです。
とはいえ危機感を伝えることはとても重要です。まず私たちがどうにかしなければということに気づかなければ何も始まらないからです。
しかし今の日本において、環境問題について知らない人はまずいないでしょう。
危機を紹介する時代は終わったと思います。
これから大切なことは自分たちの活動がうまくいっていることもアナウンスされ、
そして取り組むことが現状のかっこいいという認識から自然なこととして受け止められることだと思います。
それはかっこいいには賞味期限があると思うからです。
取り組むため入り口にはとてもいいものですが長い期間
「エコライフ(ナチュラル志向)=素敵な生活」の形が保たれるとはあまり思えないのです。
取り組むことが、まずかっこいいライフスタイルとしてこれからの日本の生活として定着し、
その後ごく普通なこととして取り組んでいられる時代が今後10年間で根付き、
10年後にはより上のステップの活動が行える土台が生まれていれいて欲しいと思います。
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# by naomedia | 2006-10-09 00:28 | カルチャー・エデュケーション
心の中で生き続ける体験
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子どもの頃の経験したことは大切です。
もし小学生の頃、私が描いた作品が入選していなかったら、きっと私はデザイナーになっていないでしょう。

初めて自分のデザインが社会で利用されるようになったのは大学生のときに採用されたロゴだと思っていましたが、もっと広く振り返ってみると自分のデザインが初めて多くの人に使われたのは小学校5年生のときだと気づきました。

私の通っていた小学校では、空き缶・古紙回収など環境問題への取り組みを行う、アースデイという日が毎月ありました。
そのアースデイが始まるとき、登下校時に肩にワッペンをつけることになり全校生徒がアイディアを一案ずつ出したのですが、そのときに採用されたのが私の描いたデザインでした。
そのデザインは、印刷会社によって本格的なワッペンに仕上げられ、登下校時にみんながつけている姿、私が卒業後もつけて登下校している小学生を見て、自分の制作したものが利用されている喜びと、多くの人が使用している責任感を感じたものです。
私が今、デザイナーとして日々感じていることと同じ事を小学生のときに私は味わうことができたのです。

e0011904_2124437.jpgその後、モノを作ることとは離れて過ごしてきたのですが、進学する大学を選ぶ高校2年生の段階になって初めて私は、大学進学と就職はセットでやってくる現実に気づかされ、大きな不安に包まれました。
就職はずっと先と思っていましたが、わずか17年間の人生で経験したことの中から導き出さなければならなくなったのですからパニックです。

小学生の頃には、新幹線の運転手や教師というように自由な発想で将来像を思い描けていましたが、高校生にもなると自分の偏差値、学費、進学後の評価など様々なプレッシャーがかかり、自分のなりたい将来像を描くのにどんどん視野を狭めていってしまいます。
このプレッシャー自体は、将来の決断をするのですからしょうがないのですが、
でも、そのときに自分の将来の目標が定まらないのはいい状態ではありません。
大学で将来の夢を見つけることもあるでしょうが、やはり大学を選ぶ段階で大きな目標は決まっていた方がいいものです。



この選択を行うときに、小学生のときに経験した喜びや持った夢、経験はその選択に大きく関わってくると思っています。きっとその頃には、何にも束縛されない自由な自分の考えがあったと思うからなのでしょう。
私の場合は運良く、絵を描くことで多くの人に使われたときの喜びという経験があったので自分の好きな道に進んでこれましたが、正直に申しますとあの選択を行うときに、教師とデザイナー以外の選択肢はあまり想像できませんでした。
小学生の頃にもっと多くの経験ができていたならば私の人生はまた違った方向に進んでいたことでしょう。

「百聞は一見に如かず」という言葉がありますが、私は
「十見は一体験に如かず」だと思っています。
牛という動物すら知らない人間が100回、牛の乳搾りについて聞くよりも
1回見た方が遥かに理解することができるでしょう。
同じように10回様々な職業見学に行くよりも
1回体験した方がずっと多く楽しみ、喜び、苦労、コツ、行程などが理解できるでしょう。
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という順序で吸収する情報は多く、一度体験するとその後もその仕事に興味が沸いてくるものです。
音楽でもそうですね。
家でCDを聞いているよりも、一度コンサートに行ったアーティストの方が遥かに心に残りますし、その後も強く興味が沸いてくるものです。
体験したことは、一時期だけでなくその後も生き続けるのです。

様々な職業の体験できるキッザニアですが、多くの子どもがそこで体験したことを通して、自分の心に私の将来という種を撒き、その後もその成長を手助けし、10年後、20年後にその花をさせて欲しいと思います。


キッザニア・・・・公式ページ
キッザニアについて・・・東京キッザニア広場
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# by naomedia | 2006-10-04 00:26 | カルチャー・エデュケーション
サンフランシスコの青い空
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サンフランシスコといいますと、霧の街というイメージがありますが、私が滞在した期間のほとんどは雲ひとつない青空が広がっていました。
日本でも秋や冬には空気が乾燥し、澄みきった青空になりますが、夏の青空は多湿でどこか霞のかかってしまいます。
真夏の澄み切った青空が珍しく感じた私は、その空ばかりを写真を撮影してしまいました。

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拡大した写真や、その他の写真はこちらでご覧になれます。


この写真を見ると名物の霧は珍しいのかと感じるかもしれませんが、霧は頻繁に現れます。
ただ多くは夜から朝方にかけてで、昼間に現れる事はそんなに多くはありません。
私が滞在していたところは、SFから80キロくらい離れてしまうのですが、
そこでは霧は地上よりも高い位置に毎朝現れました。
そのため朝はいつもどんよりと曇り、夏なのに寒いのです。
ちょうど現在の日本の朝の涼しさが夏でも存在します。

しかし、毎朝9時を過ぎた頃、10分くらいの間にたちまちその雲は消え、雲ひとつない青空が広がるのです。
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上の写真は時間を追って撮影したのですが、あっという間に晴れてしまいます。
左から2枚目の写真で、右の山の上のほうで雲が薄くなり、そのまま左に雲が流されていくのかと思いきや、そのまま雲が分かれて空に消えていってしまうのです。



e0011904_1449236.jpg空にばかり興味を引かれてしまい上ばかりを見て歩いていると、街灯に取り付けられている看板が目を引きました。一枚目は、SF RISINGキャンペーンの広告、そしてもう一枚は、サンフランシスコ・シンフォニーの広告です。

SF RISINGはSFを襲った大震災からちょうど100年目を記念し、あの出来事から復興とこれからを考えるキャンペーンで、そのシンボルに不死鳥(フェニックス)をつかっているようですが、その広告はまるで後ろの青空を切り取ったようなデザインをしています。

そしてもう一枚のサンフランシスコ・シンフォニーの広告は、雲ひとつない青空にまるで、ト音記号の形をした雲が浮かんでいるように見え目が留まりました。
これらの広告を見たときに、気持ちのいい広告だなと感じたと同時に、雲ひとつない晴天が毎日続くこの地だからこそできる手法だなと思いました。





この青空のおかげで毎日快適な生活を過ごせたのですが、
他にも素敵な出来事を私にプレゼントしてくれました。
それは、写真をご覧になって感じると思うのですが、
光が強いのでとても画像がきれいに、そして発色よく写るのです。
考えてみると、カメラを購入しようと思いパンフレットを開くと、必ずといっていいほど地中海周辺で撮影した、イタリアやフランスのサンプル写真が写っていますね。
日本ではなかなかあの光はでないのです。
SFもワインの産地として有名なように、地中海性気候で同じような環境で光が似ているのでしょう。

街だけを撮影していたら気づかなかったと思うのですが、
青空を撮影していて、「ああ、この気候と空のおかげで写真まできれいに写せているのだな」と光の持つ力にも気づかされました。
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# by naomedia | 2006-09-30 15:13 | アメリカ
子どもの頃にツリーハウスに憧れる理由
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今月号のTITLEを読んでいるとツリーハウスの特集が組まれていました。
その記事にも書いてありますが、多くの人が子どもの頃に一度は憧れたと思います。
私もその1人で、よくチラシの裏に木の上の家を何度も描いた記憶があります。
大人になっても、ツリーハウスと聞くとワクワクするものですが、
やはり子どもの頃の方が、憧れが強かった気がします。
なぜあんなに憧れたのか、子どものときの自分の記憶を辿りながら探ってみようと思います。

私が小学生だった頃、近くの山に、木の上に基地がある木がありました。
それは、私たちが遊ぶ数年前にどこかの中学生が作ったもので、ベニヤ板、ロープ、廃材を使って組み立てられた、3~4階の構造を持ったものでした。
家ではなく、単に床が木の上に作られていたものですが、この上に登って過ごした時間はとても楽しかった記憶があります。


e0011904_22343041.jpg遊ぶといってもただ登っているだけで何をしたわけでもなく、ただ木の上で過ごしているのが楽しかったのですが、唯一、大きなターザンロープがあり、
これはどんな自然公園に行っても出会うことがないような大きさで、しかも斜面でしたから途中からはどんどん高度が高くなり、本当に森の中の空を飛んでいるような感覚が味わえると楽しいものでした。
(言葉で書いてもイメージが伝わりにくいと思うので、記憶を頼りにスケッチを描いてみました。そちらを見てください。)
<スケッチを拡大する>


私が遊んでいたものは純粋なツリーハウスとは違いますが、壁がないだけで、魅力はほとんど同じだと思います。
木の上の空間は、普段の見慣れている世界を急に、非日常の空間へと変えてくれます。
ただ過ごしているだけで楽しいを引き出してくれるのがこの非日常的な空間で、そしてそれを作り出してくれているのが、木の高さなのです。
よく絵の中に描かれているはしごを見ると、なぜかワクワクさせられる気持ちを持つのですが、これはきっとはしごが日常から非日常への架け橋だということを体験として知っているからだと思います。



そして木の高さはもう一つの魅力を作り出してくれます。
それは、子どもだけの空間です。

大人になると、多くの人は木に登れなくなります。
まるで大人になると空を飛べなくなってしまうピーターパンのようにです。

私も子どもの頃はなんとも思わず木に登っていました。
正直、人より木登りに自信がありましたが、今は登ろうとは思いません。
登るという行動に魅力がなくなってきてしまったこともあるのですが、登るのが怖くなってきてしまったこともあります。
小さな枝の間を潜り抜けられず、細い枝に体重をかけることもできませんし、
落ちたときに「イテテ・・」の言葉では済ませてくれません。

大人になると登れなくなってしまうという状況の印象的なシーンは
「トム・ソーヤの冒険」の中にも登場します。
それは一緒に生活しているおばさんがツリーハウスの下でトムのことを怒り、叫びますが、登ってこられないのです。トムはそれを知っていて無視をしてしまいます。

このように、木に登るという行動が、子どもの頃に厄介でしょうがなかった大人たちを遮断し、
自分たちだけの空間を手に入れることができるのです。
最初は木登りだけを楽しんでいるのですが、もっと自由に動きたいと思うと、トムのようにツリーハウスが欲しくなってくるわけです。

これらがツリーハウスのことから、ツリーハウスに憧れていたのでしょうが、
自分が子どもから大人になるにつれて、あの憧れていた気持ちを薄れさせていってしまったのも、同じ理由からかもしれません。
でも、ツリーハウスの写真や絵を見ただけで、どこかワクワクさせられる気持ちが残っているうちは、きっと心の奥底にまだ子供の心が残っていると思っていますよ。
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# by naomedia | 2006-09-27 22:58 | カルチャー・エデュケーション
オシロイバナ・コレクション
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よく使う道にオシロイバナは咲いていませんか?
何もしなくても生えてきてしまうくらいの生命力を持つ植物なので
気にもせず、通り過ぎていたのですが
先日、近所の庭に咲いているオシロイバナの柄が面白い柄であったことに気づきました。
そこで、他のところでは、もっと面白いものが見つかるのではないかと思い、
散歩がてらコレクションしてみることにしました。
これが意外と数が多いのです。

オシロイバナの柄が異なるのは、中学生か高校生で習った遺伝によるものですが、
基本は上の写真にあるピンク・黄色・白の三色が大本になります。
そしてそれぞれが混ざり合うと、

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このようにストライプ柄や斑点のついた模様になります。
遠くから眺めてオレンジがあると思わされるのは、黄色をベースにピンクの斑点がついているときが多いようです。
そしてこれらの中には、

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ストライプと斑点が混ざったもの。
そして斑点だけなのですが、外側によっていて小さな朝顔のように見えるものがあったり、
花びらごとに違う色が配され、コントラストが強く現れるものがあります。
そして、偶然が重なり

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BMWのロゴのような模様を作り出す花や、半分ずつ色が異なるハーフ&ハーフが生まれてくるときがあります。
ただ、このようにきれいなものが出る花はそんなに多くはありません。
ここまで見てきてお気づきかもしれませんが、
ピンクと白、ピンクと黄色は混ざるのですが、黄色と白は混ざっていません。
この部分は調べが足りないのですが、少なくとも私の家の近くでは見つけることができませんでした。
ただ、濃い色の黄色と薄い色の黄色の2種類が黄色には存在しているのです。
もしかすると、薄い黄色は白と黄色が混ざったものかもしれないとも思っているのですが、
ピンクと黄色が混じっても、視覚的にはオレンジでも、純粋なオレンジの花が生まれているわけではないので、真意はわかりません。


これ以外にもハーフ&ハーフと同じように、クォーターや1/10だけ色がついた模様のものが存在します。
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普段あまり気にしない花ですが、家から駅に向かって歩くときにでも
それぞれの場所で咲いている花の模様を眺めてみてください。
場所によってそれぞれの特徴があります。
探すコツは、2種類の色のオシロイバナが咲いているところの間を中心に探す見つけやすいと思います。
1色しか咲いていないところにはまず咲いていません。
そして模様だけのオシロイバナが咲いていることはとても珍しいと思います。(私は出会いませんでした)

オシロイバナを注意しながら街を歩いてみると、
きっといつもとはまた違った街を楽しむことができると思います。
この涼しい季節にオシロイバナ散歩に出かけてみるのもいいかもしれませんね。


*掲載した名前は、私が勝手に命名したもので、正式な名前ではありません。
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# by naomedia | 2006-09-23 14:28 | カルチャー・エデュケーション
青春の1ページを描く映画
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日本の映画をほとんど見ない私なのですが、まもなく公開される「夜のピクニック」という映画に興味を持っています。

この映画、茨城県にある県立水戸第一高等学校(以下、水戸一高)の「歩く会」という行事をベースに、この高校出身の作家、恩田陸さんの小説を映画化したものです。
この行事、私と全く切り離すことができない事情があるのです。

といいますのも、この映画のベースとなった歩く会と同じものが
私の出身高校に存在したのです。
それは私の高校ができた頃、水戸一高の校長先生が異動で私の高校に赴任され、
同じ行事を始めたからで、名前こそウォークラリーと違いますがほぼ同じ内容の行事を体験したのです。
では、先ほどから出ている「歩く会」とは何かと申しますと、
約24時間をかけて、全校生徒で約70キロを踏破するというもので、
行きは早朝に大型のバスで出発点に向かい、そこから高校に向かってみんなで歩きます。
初日にクラスメートと共に50キロ、次の日に仲のいい友達と20キロを自由に歩くというもので、映画のキャッチコピーにもありますが“ただ70キロを歩く”というイベントなのです。
この行事、私の高校では毎年ちょうどこの時期、9月の最終の週末に行われています。
卒業してから既に何年も経ちますが、やはりこの時期が来ると毎年思い出します。
そして天気予報をじっくり眺めて、今年はどんな様子でみんな歩いているのかなと物思いにふけってしまうのです。
そのようにちょうど思い出を掘り返してしまう時期に、偶然にもそのイベントをテーマにした映画が公開されるのですから興味をそそられてしまいます。

映画では、この行程に様々な人間模様やラブストーリーが絡んでくるようですが、実際の経験からすると、ラブストーリーはちょっとリアルではないかなという印象を持っています。実際は男女別々の行動という感じでしたから。

24時間で70キロを歩くというと、とてつもない距離を歩くように思われるかもしれませんが、
どんな女の子であっても歩ききれるものです。
足にマメができてしまったり、大変な思いをする人もいますが、歩く速度はとてもゆっくりでまさにピクニックです。私の感想では登山の方が遥かにきついです。


高校生活は3年間ですから、コースは3コース用意されており、
同じコースを歩くことは二度とありません。毎回が新鮮な風景です。
印象としては

70キロなんてあるけるのか?大丈夫かな?という
緊張の1年目。

持参する荷物、楽しみ方にも慣れてくる
慣れの2年目。

そして
感慨に浸る3年目。

そんな思い出の残るこの行事ですが、私の時は3年目がとても過酷だった記憶があります。
1,2年目はコースが山で、天気も曇りだったのですが、
3年目は9月も終わるというのに、雲ひとつない真夏日となり
コースも、霞ヶ浦に沿ってひたすら歩くものだったので木陰一つなく、
持参した水は底をつき、だだっ広い霞ヶ浦の風景は変わらず、
まるで砂漠の中を歩いているような気持ちでした。

そんなただ歩くだけの何が楽しいのかと思うかもしれませんが、
前回取り上げた登山のときと同じで、歩いているときは必死で気づきませんが
終わってみれば仲間と過ごした長い時間、一緒に乗り越えた大変な思いは
もう高校を卒業した後には得ることができない大切な青春の思い出として
強烈に残るものです。

先ほど、「感慨に浸る3年目」と書きましたが、9月の終わりということもあり、
高校時代最後の行事がこの歩く会になるのです。
三年目に最後にゴールのゲートをくぐるときには、
ここでこのゲートをくぐってしまえば、これで高校生活も終わりなんだなという思いがわいてきました。1,2年生のときはよかった!歩ききった!という達成感でのゴールでしたが、
3年目は70キロも歩いてきているのに、ゴールがもっと先ならいいのにという気持ちが
心の中で渦巻いていました。

そんな気持ちもあり、
また普段仲よしだった3人組のうち、一人だけ遅れている友人がいたので
「最後くらい一緒にゴールしようぜ」ともう一人の友人に伝え
すぐにゴールせずに遅れている友人をしばらく待ち、3人一緒にゴールしたことを思い出します。

それから約半年後、そんな記憶も薄くなり始めた頃、
卒業式を向かえ手元に届いた卒業アルバムを開いて驚かされました。
それはそのゴールを3人でくぐった瞬間の写真が大きく載っていたのです。(撮られていたなんて3人とも気づきませんでした。)
しかも、僕が中心で満面の笑顔に、右手の親指を立ててゴールをしていて、
友人二人が、僕の半歩後ろを疲れた表情で写っているのです。
一人だけ満面の笑みの僕がまるで水戸黄門で、その後ろにスケさん、カクさんというような
写真でいまでも笑いのタネですが、
あの瞬間がまぎれもなく青春の1ページとなってしまったわけです。
(あの友人二人の表情を見ると、もしかするとゴールがもっと先ならいいのになんて考えを持っていたのは私だけだったかもしれません。)


私はまだ映画を見ていませんし、どんなストーリーなのか、面白いのかどうかすら知りません。
ただ映画のスナップ写真を見る限り、あの日の風景にそっくりであることは確かです。
もし、チャンスがありましたら一度ご覧になってみると、きっと私の文章だけでは伝えることができない、このイベントの雰囲気が味わえると思いますよ。

映画公式サイト ----- 夜のピクニック
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# by naomedia | 2006-09-20 01:39 | 映画
なぜ人は山に惹かれるのか
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先日、家族と共に谷川岳を登ってきました。
大人になってからは初の登山だったのでとても新鮮な1日となりました。
山は昨今の中高年登山ブームの中、中高年のハイカーが多く、
私の年代は非常に少ないものでした。

実際に登った感想は
自然の中で気持ちよく過ごしたというよりも、
つらいとまではいいませんが大変だったという印象です。
岩を1つ1つ超えていくので、10分歩いて5分休憩というスローペースで少しずつ登り、約4時間かけて頂上に辿り着くことができました。


登る前から楽な道のりは想像していませんでしたが、
なぜそんな思いまでして人は山を登るのか、またブームとなるのかがずっと疑問でした。

その日は天候も良く、遠くの山々まで見ることができた最高の登山日和で、登頂できた充実感を頂上で十分に味わえたと思います。
でも私は下山している最中も、なぜ人はこんな思いまでして山に惹きつけられるのかその疑問は解けずにいました。

このとき私が思っていた惹きつけられる理由
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これらのことは、下山中のみでなく、出発以前にも想像していた理由でもあるのですが、登った後に振り返ってみてもどれも的外れではなかったなと感じています。
登っているときには、頂上に登ればそこになにか答えがあると思っていましたが、
実際にこの答えがもう少し見え始めたのは登山後、数日経ってからでした。


e0011904_14381856.jpg帰宅後、日に日に登りきった充実感が不思議と増していき、辛かった思い出を吹き飛ばし、また別の山に挑戦してみたい、
次はどんな体験が待っているのだろうと、登山を楽しかった時間へと変えていったのです。

そしてもう1つ、登る前には全く気づくことのできなかった喜びを、登っている最中に味わっていたことに気づかされました。
それは思いやりです。

普段、何でも1人でできてしまう便利な現代社会において、多くの不便や危険がある山において、普段は使わないような相手に対しての思いやりの言葉や行動を自然とみんなが発していたのです。
そのお互いを思いながら過ごした時間が、日常の人間関係とは違いとても心地よく感じていたことに気づかされたのです。

これらの体験は目には見えませんし、ダイレクトに心に飛び込んでくるようなインパクトもありません。
しかし、普段気づくことができない家族や夫婦の絆、人の優しさを再認識できるもの、山が人を惹きつける1つの理由なのかもしれません。


その他の山の写真はこちらで見られます。
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# by naomedia | 2006-09-16 14:41 | カルチャー・エデュケーション
ものづくりとラブレターの共通点
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先日、ラジオを聴いているとDJ(誰かは忘れましたがミュージシャンのようでした)に対して「なぜ、アーティストは夜型なのですが?」という質問が寄せられていました。

私はデザイナーでアーティストではありませんが、やはり夜に作業をする方が集中できるのです。美大時代の友人を見ても、その多くも夜型だったと思います。

ではなぜ、夜型なのかと聞かれると答え方に困ってしまいます。
一日中アイディアを考え続けて、そしてようやくまとめに入るからいう印象ではあるのですが、夜の作業は集中でき、はかどるのです。


さて、このDJはいったいどんな答え方をするのかと、聞き耳を立てていると
その答えは非常に簡潔で、誰にでもイメージし易い説明に驚かされました。

「もしあなたが好きな人にラブレターを書こうとしたら、
朝起きて、さあ書こう!なんてしないでしょう。まずそんな気分にならなし、お昼までに書き上げようなんて予定も立てられない。
夜になっていろいろ一日中考えたその人への想いを何度も書き直していくはずです。音楽を作るのだって同じなのです」(言葉は違うと思いますが、内容はこのようなものでした。)

ミュージシャンの言葉なので、私とは違う分野ではありますが
誰にでも物作りに対する熱意を説明するのにとても分かり易いものだと思います。
もし、小中学校の図工や美術の時間が嫌いで物を作る楽しさに気づき難かった人が
この説明を聞いたとしても、またはラブレターを書いたことがない人が聞いたとしても、
自分が作ったものを通して、自分の考えを一生懸命他の人に伝えようとする努力を説明するのにイメージしやすい例だと思います。
なぜ夜型になるかということに関しての答えは「気分」としてしか説明がありませんが
それだけ没頭して一つのことに熱中し、一生懸命に取り組むからこそ夜になってしまうということが想像できると思います。


ラブレターを例に挙げものづくりの流れを説明するのは本当によくできた説明だと思います。
それはものづくりにおける物自体作るところから、作り終わった後にプレゼンテーションするまでの行程がラブレターにも含まれているからです。
何かを本気で作ろうと思ったら、何度も何度もまるで粘土のように練りこみ作っては直し作っては直しを繰り返すはずです。
そうすることによって必要なものだけ、意味を持ったものだけが残り、作品として非常に明確でありながら、深い意味を持ち合わせたものになっていきます。
これをラブレターに例えるなら、手紙に書く文面の推敲にあたりますね。
別の意味に取られないように、そして明確に気持ちが伝わるように言葉を選び、何度も書き直すことでしょう。
ストレートに気持ちが伝わるように。
そして、効果的に相手の気持ちを動かすことができるように。

そしてそのようにしてようやく出来上がった手紙を次のステップで封筒に入れますね。
どんな封筒にするかは、書き始める前に決めてしまっているかもしれませんが、
最後に必ず入れ方を考えるでしょう。
2つ折がいいのか、3つ折の方が印象が良いのか。
女の子ならドラマのように香水を吹きかけるかも知れませんし、閉じるシールを考えかもしれません。
これらのことはものづくりでいうところの、作品を相手に見せる為のプレゼンテーションの準備と重なります。
まず、作品の何から見せるか。
いきなり作品を見せるものいいが、感動が薄くなる可能性がある、だからといってコンセプトから語り続けるとその前に飽きられてしまって作品の確信(ラブレターにおける自分の気持ち)が霞んでしまう。
そんなことで、どういう第一印象を与えるかの戦略と準備ですね。

そして、ラブレターを書いたなら渡し方も必ず考えるでしょう。
確実に、且つ印象的に。
警戒心を持たれないように。
また、うまく渡せなかったときの修正案も少し頭でシュミレーションすることでしょう。
これは、プレゼンする相手に対しての気持ち、準備と全く一緒ですね。

そして実行した後は、
やれるだけのことをやったので、相手がいい返事をくれることを待つだけです。
ラブレターなら「YES」で、
デザインなら「採用」ですね。



家族や友人、知人から週末も夜も気にせず何かを作ってる私の日常について、
なんでそんな思いをしてまでやるの?といわれることがあります。
(決して自分ではそんな思いまでして作っているわけではなく、ラブレターでいう
推敲の部分に時間を取りすぎていて、締め切りぎりぎりで、プレゼンの準備に必死になっているだけなのですが。)
でも、そんな時間が今の私には本当に楽しいのです。
自分の想いを込めたものに没頭し、見せる相手の反応を考えて作っているときは
緊張とワクワクした気持ちとが入り混じりなんともいえない時間になっています。


これまでものづくりラブレターとの類似点ばかりを挙げてきましたが、ひとつ大きく違うことがあります。
それは、何かを作って相手に渡したとき、その場で相手の反応を見ることができることです。

いい反応の時も、悪い反応のときもありますが、
いい反応のときに見せてくれる笑顔はこれ以上ない最高のひとときです。
その瞬間、その表情から、次の作品への意欲をもらっています。

ただ、いつも採用とうまくいきすぎると、調子づいていってしまいますから、
たまに、"フラれ"たり、ダメだしをされたほうが、自分を見つめなおし、成長しなかればいけない部分を見つけ努力するので、よりいい作品ができているのかもしれません。
人生と同じですね。
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# by naomedia | 2006-09-13 23:11 | アート ・ デザイン