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なんだかんだで、野球の年
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今年1月、「2006 -スポーツイベントの特色-」という記事で、トリノオリンピックとW杯サッカーという大きなスポーツイベントが複数開催され楽しみだと書きました。
しかし、この一年のスポーツを振り返ると、なんだかんだで野球が一番盛り上がっていたのではないかと思います。

2月に開催されたトリノオリンピックは、オリンピック自体はとても面白かったのですが、日本のメダルという結果だけをみると(メダルの数や色のみを評価することはとてもよくないことだと思いますが。)最後に取れた荒川さんの金メダルに救われたものの、残念なものがたくさんありました。
そして6月に迎えたW杯サッカーは、残念ながらオーストラリアとの第1戦で89分に2点目を入れられた時点で、ほぼ終わってしまいました。
フランス大会では出場に意義があったため、3戦とも楽しめましたが、今回は本当に初戦のみでほぼ望みが消え、最も盛り上がらないW杯となりました。
そんな不完全燃焼の中、コンスタントにスポーツの話題をさらい続けたのが野球です。

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春には、WBCで優勝し盛り上がりました。
スポーツ観戦が好きな私ですが、正直始まる前はWBCには関心の低いものでした。
きっと多くの人が同じだったと思います。
しかし韓国に敗戦の末、本当に瀬戸際に追い込まれながらも、そこからまるで敗者復活戦のように這い上がっていき優勝するドラマチックな展開が一気に日本中を釘付けにしました。


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そして、夏。
W杯が終わり落胆していたところに全くのノーマークだった甲子園が、この夏をより熱いものにしてくれました。はじめのうちは、駒苫の田中投手のピッチングを見ていて彼に注目が集まる大会になりそうだなと思っていたのですが、急にハンカチを使う斉藤投手に注目が集まり、持ち上げられました。
それぞれタイプは違いながらも力が拮抗したため、まるで物語のようにドラマチックな展開で決勝戦は展開し、引き分け再試合へ。そして再試合でも同じように接戦になったのですから日本中が沸き立ちました。
そして両チームの選手とも、真直ぐに野球に取り組む姿にも心打たれました。
相手を単に敵視するのではなく、敬い、逃げることも小細工もなく向き合う姿が見ている側にとても気持ちよく、スポーツの良さを認識させてくれました。


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そして秋になり、プロ野球も終盤になり俄然面白くなったのは今年もやはりパ・リーグでした。3チームのどれが優勝してもおかしくない僅差のなか、最後のスパートで力を発揮した日ハムが優勝し、北海道中を熱くし、その後の日本シリーズも制しまた盛り上がりました。
この優勝は、北海道の盛り上がりに注目が行きますが日本シリーズでは日本全体がどこか日ハムの応援に回っていた気がします。
“新庄効果”ももちろんあるでしょうが、移転して、気分一新フレッシュな日ハムがとても魅力的に見えました。サッカーが好きな私としては、去年のロッテ、今年の日ハムといい、サッカーで結果を出している地域密着を野球でも成功している両チームがチャンピオンになっているのをうれしく感じます。


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冬は冬で、ストーブリーグが例年になく高い注目を集めることになっています。
松坂投手の移籍を代表に、FAを行使する大型選手が目立ち、とても活発な移籍となっています。


このように蓋をあければ春夏秋冬、野球に惹きつけられた年だったと思います。
野球人気が低下、視聴率が低下といいますが、私は今年何度も面白い野球を見て、魅了されました。ただ、この記事の中で1つ触れなかった部分が野球には存在します。
それはセ・リーグです。
つまらない、人気が今までよりも落ちているというのは今のセ・リーグに言えることではないでしょうか。
結局、巨人がくしゃみをして、それが近くにいたセ・リーグにうつったとでもいうべきでしょうか。
最近、「子育ても 介護もしない ジャイアンツ」という川柳が人々の共感を得ているようですが、強引な巨人に嫌気がさした人々が他のチームに愛すべきところをみつけたか、少し離れた立場から面白いゲームを見つけては楽しんでいるように思います。

人気がない、メジャーにとられていると哀れむ声が多数ですが、人気が一つのチームに集中することなく、様々に分散していっていると思います。
このように分散していくことを、人気の低下と捕らえるのではなく、新しい野球の構造が生まれていると捕らえたほうが、野球の将来像としては面白いものが待っている気がします。


今年、多くの人を沸かせた試合はどれも“ドラマチック”でした。
そして共感し、自分が応援すべき対象を私たちは毎回見つけることができました。
このドラマチックな野球が今年だけで終わらず、来年以降も見られるように続いて欲しいと思います。
# by naomedia | 2006-11-18 12:47 | スポーツ
10年前の未来像と現在の日本
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先日、クローゼットを整理していると、1996年の9月号のNewtonが出てきました。この本は私が中学生のときに初めて購入したもので、本屋で見つけたときには日本にもこんな本があったのか!と感動しながら手にしたことを今でも鮮明に覚えています。


10年前の未来像と現在の日本_e0011904_2336289.jpgそんな思い出がたくさん詰まった一冊を、今回読み直してみると「日本の未来」という記事が熟成されて面白くなっていました。この記事は2100年までの未来を予想するという内容ですが、記事の多くは10年後までの予定やビジョンで構成されています。
この号からちょうど10年が過ぎた今、その頃のビジョンとその後の結果がどうなっているのかを調べながら深く読んでみました。









この記事は
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以上の9つの分野で書かれていますが、今回は
「首都移転」「高齢化」「通信」の3つを取り上げてみたいと思います。


まずは首都移転ですが、記事には
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と書かれていますが、国が多額の借金を抱える現在となっては、とてもバブルの匂いがする話となっています。結局2003年に候補地を絞り込めないという形をとり凍結されました。


2つ目は高齢化です。記事によると
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と書かれていますが、これは若干早まり2006年には突破してしまいました。このズレは、少子化が想像以上に進んだためではないかと思います。
”2007年までわずか10年余り。その間に何ができるだろうか”
と書かれていますが、悪くなった以外、結局打開策のないまま迎えてしまいました。


3つ目は通信網です。
ここまでは実現できなかった暗い話題になってしまいましたが、通信は予想を遥かに上回る結果となりました。他の分野の挿絵を見ると、いまだに夢いっぱいの絵に見えますが、この通信の挿絵だけは過去の絵に見えます。挿絵の携帯電話はとても大きいですし、電子手帳の液晶は白黒です。携帯と電子手帳が一体になりつつある現在、片手に携帯、片手に電子手帳というスタイル自体が時代遅れに見えます。本文には
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と書かれていますが、すべて2010年を待たずして実現しました。
私の家は光ファイバーではありませんが、電線には来ています。あとは光ファイバーの導入を我が家が決断すればいいだけなので、事実上届いています。
しかし、この地上通信の急速な発達と比べると衛星通信の進歩は遅く感じます。記事には98年から衛星電話のサービスが始まり、世界のどこでも通話が可能になると書かれていますが、予定通り98年に始まったものの翌年には倒産し、ようやく2005年になって復活しましたが、今や普通の携帯電話でも人の住む地域でしたら世界中ほとんどの場所で使える状態です。
90年代の風潮としてテレビを含み通信は、衛星へという流れがあり、鉄塔はとてもアナログに見えましたが、結局は基地を日本中につくり、テレビは第2東京タワーの建設予定など地上からという方向になりつつあります。

10年という短い期間でみたので、ずば抜けた変化をあまり感じなかったと思いますが、冷静に考えてみると10年前にはこうやってblogを通して簡単に多くの人に自分の意見を伝えることもできませんでした。
ネットに接続するときも「ピー・・」という発信音を待ち、写真のあるページにいくとPCが固まることもしょっちゅうでした。
私が子どもの頃夢見た、コンピュータが喋りながら車の行き先を案内することも、相手の顔を見ながら電話するテレビ電話も、好きなだけ写真がとれるカメラも、すべて家庭に入ってきたのはこの10年です。

今回は3つしか取り上げませんでしたが、この9つの記事を見ていて残念なのは、政府主導のものはうまく進まず、民間主導のものばかりが夢を実現していることです。
この記事を10年ぶりに読むことで、最近の「官から民へ」という風潮の根源に気づかされてしまった気がします。
# by naomedia | 2006-11-02 00:09 | カルチャー・エデュケーション
ビックバードに会いに行こう
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私が写真好きだと知っている知人が、アメリカ滞在中のある日、広大なブドウ畑やアメリカ版朝市など様々なところに連れて行ってくれました。

ちょうどブドウ畑を撮影し終わったとき、
「じゃあ次はビックバードを会いに行こう!」というのです。「ビックバード!?」と聞き返したのですが、その方はまあ着けばわかるよという感じの表情で私に笑いかけてきました。
その表情を見て、私を驚かせようと何かたくらんでるなと思い、そのまま私も質問せずについていったのですが、移動中、頭の中ではセサミストリートに出てくる黄色い大きなキャラクターと、現実的な話で考えるとダチョウ牧場かなと二つのイメージが交錯していました。

ビックバードに会いに行こう_e0011904_20305245.jpg着いたところは、今にも壊れてしまいそうなフェンスで囲われたサッカー場半分くらいの広さの空き地でした。私がそのフェンスに近寄るとまもなく遠くからダチョウが3羽駆け寄ってきたのです。
やっぱりダチョウ牧場だったか。と思いつつ写真を撮り始めたのですが、やはり近くで見るとダチョウは大きさに驚かされます。ダチョウ自体はそんなに珍しい動物ではありませんが、今まで動物園でしか見たことがない私にとっては、一枚のフェンス越しに突っつかれない距離を保ちつつ近寄ると細かいところも見えて迫力が違います。
しかも、近くで眺めていると意外とかわいい動物だなと気づかされました。アニメのなかに登場するダチョウは滑稽なキャラクターやどこか間抜けに描かれていたりする印象がありますが、それもあの好奇心旺盛な性格で寄ってくる姿と、表情に接していると理解することができました。

撮影が終わり、また車に乗り込み別の場所に移動しているとき、来るときには質問できなかったのでいろいろと質問をしてみました。
「あのダチョウって、食べるために飼ってるの?それとも皮のため?」と私が聞くと、
「違うよ。ただのペットだよ」というのです。
「ペット!?」
私がダチョウ自体にあまり驚かずにちょっと拍子抜けだったその方も、私のこのときの表情には喜んでいました。
「そう、ただのペットだよ。あの家の人、ダチョウが好きで飼ってるんだ。よくこの辺りに住んでる人は、みんなああやって立ち寄って眺めてるよ。」というのです。
牧場にしては3羽しかでてこないから、きっともっと奥にたくさんいるんだろうなと思っていた私のイメージがそのとき初めて壊れました。

最初にペットと知ったときは、わざわざダチョウをペットにするなんて変わった人なんだろうなと感じていたのですが、今となって振り返ってみると、全くの初対面の私が到着したとたんに100mも先からすべてのダチョウが近づいてきてくれたり、その場で興味を示してこっちを眺めている姿は、意外とかわいいし、3羽で家族のように過ごしている姿は一緒にいて面白いペットかもしれないと思うようになりました。しかも頭では「大きな鳥」と理解しているのですが、実際には珍しいラマなどのちょっと変わった動物と接している印象を受けたのです。

もし興味のある方は、ペットにいかがですか?僕は詳しいことはわかりませんが、
日本でも食用のための牧場があるくらいですからペットとしても飼えるはずです。
気候は沖縄から北海道まで問題ないようですし、ダチョウ用の餌も市販されているようです。
ただ広大な土地と、寿命が80年くらいはあるようなので、かなりの覚悟が必要だと思いますが。


その他のダチョウの写真はこちらで見ることができます。
# by naomedia | 2006-10-29 20:18 | アメリカ
流れ星が奏でた音
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今回も前回取り上げた流星の話を書きたいと思います。複雑な内容ですがお付き合い下さい。(まだ前回の記事を読まれていない方は読んでからの方がわかりやすいと思います。)

あの流星を見たとき、実はほぼ同時かワンテンポ遅れて「シュー」や「パリパリ」又は「パララ」というような音を聞いた気がしたのです。
その音はまるで打ち上げ花火の「ヒュルルルー・ドーン・パララ」という一連の音の中のパララの部分と同じような音だった気がします。
最初は流星の音を聞いちゃった!と思ったのですがやはりそれは現実的ではありません。
前回の記事でも書きましたが流れ星が光る高度は70kmくらいで、もし真下に立っていたとしてもその距離は70km、実際は真下で見るようなことはまずありませんからそれ以上、離れているはずです。
気のせいで片付けてしまうのもつまらないのでいくつか自分なりに仮説を立ててみることにしました。


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まず流星の燃える音が届くのが本当に不可能なのかを考えてみました。
もしこの流星が私の真上で光っていたとするならば私からの距離は70kmです。そして音の速度は1秒あたり340mなので計算すると、燃えた音が私に到達するまで約3分26秒かかる計算です。一瞬遅れて聞こえたというのとは大きく差があります。
真下で打ち上げ花火を見ていても少し遅れて聞こえてくるわけですから、70km以上先の音が同時に聞こえるのは不可能なのです。


















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仮説1で音速以上でないと届かないことがわかりました。それ以上の速さで伝わるものを探すと、大気に突入する際に発生する衝撃波があるのではないかと思い調べてみました。
音速以上の速さで進むものが空気とぶつかると衝撃波(ソニックブーム)が発生します。
これは圧縮された空気の塊で音速よりも早く伝わります。そして伝わるにつれてエネルギーを徐々に失った衝撃波は、音速と同じ、もしくはそれよりも遅くなると「ドン」という音として伝わります。またその力は、窓をカタカタと揺らすくらいの力があるようです。事実、1996年につくば隕石として知られる隕石が私の町の上空で破裂し落ちてきたときに、友人の父親は、大きなドンという音と同時に窓の揺れを感じ、交通事故だと思い外に出たといっておりました。
しかし、これでは私の感じた音とは違います。またいくら音速を超えた速度を持つ衝撃波とはいえ、70kmをそんなに速く伝わるとは思えません。そこであの速度で伝わるとするなら、光や電波の速さでないと無理ではないかと感じるようになりました。




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これは大気に突入する際に生まれたプラズマから発生した電磁波が地上に達したという考えです。
そもそも電磁波の伝わる速度はどのくらいのものか調べてみると空気中では電波と同じ速度であることがわかりました。
テレビを見ていると遠くの中継が少し遅れて伝わるという現象が発生します。もしあの流星が70kmという距離ではなく、かなり離れていたとするならば一瞬送れて聞こえたという間も納得できます。
とはいえ、電磁波は耳では聞こえません。
ただ電磁波が届いたときに、私の脳が音として認識したと考えるなら、聞こえた気がするというどこかあいまいな体験も理解できるのです。耳で直接聞いたという感覚ではない、自信がないというのも私自身納得できるのです。


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結論を申しますと、電磁波が怪しいのではないかというところまでしか今回は突き止められませんでした。ただ私と似た体験をされている方は何人もいるようで、こちらのサイトにもそのような存在があるのではないかと書かれていますが、やはり科学的な裏づけはないようです。

電磁波の音を聞いたというと、突拍子もない意見と思われたり、私が変な感覚の持ち主かと思われてしまうかもしれませんが、皆さんもこんな経験をされたことはないでしょうか?
自分のポケットに入れておいた携帯電話を取り出したとき、携帯の画面が「Eメール受信中」の表示だったりすることです。いつも偶然だなと思いますが、それにしてはタイミングよく取り出すことが多かったりします。
これは一種の電磁波の影響ではないかなと私は感じています。携帯電話は私たちが使用する道具の中では1、2位を争う電磁波を発するので、受信中に無意識に手が伸びているのではないかと思うのです。

原因はわからず推論で終わってしまいましたが、まだまだ人類には未知のことばかりの宇宙から届けられた神秘の音を感じたのだろうと、心にとどめていきたいと思います。

<リンク>
参照サイト ・・・ http://www5e.biglobe.ne.jp/~shibaya/index.html
# by naomedia | 2006-10-21 15:50 | カルチャー・エデュケーション
7年前の流れ星を追いかけて
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オリオン座流星群が21日の晩に一番よく見えるようです。あまり流星の数は多くないようですが夜空を眺めるいい機会になりそうですね。

秋の流星群というと7,8年前のしし座流星群を思い出します。1999年のことだと思うのですが私もベランダから夜空を眺め、とてもすばらしい天体ショーを経験することができました。一夜で数え切れないほどの流星を見たのですが、その中に1つとても印象に残っているものがあります。


その流れ星は下の左図のようなもので普通の流星ではなく、
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まるでディズニー映画で魔法をかける瞬間に現れるような形で、しかもとても明るく夜空を駆け抜けていきまいた。
その瞬間、それまで人の気配を感じることもないくらい静かだった周囲から「おおっー」という歓声が上がったのです。

しかしこの流れ星はそれで終わりではありませんでした。
その流れ星の通った形がぼんやりと空に残っていたのです。まるで打ち上げ花火の後に残った煙のようでした。最初は明るい光を見たので、太陽を直接見てしまったときのように目に残像が映っているのだと思いました。しかし1分経ち、2分経つうちにやはり目の錯覚ではないと気づかされ、その煙のようなものは3~4分後には少しずつ飛行機雲が消えるように崩れていき消えてしまいました。
しかしその後はその煙のようなものがやはり自分の気のせいかと思っていたのですが、今回色々と調べてみると流星痕というものの存在に行き着きました。
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流星痕とは明るい流星の後に見られる飛行機雲のようなものですが、1,2秒ですぐに消えてしまうものを短痕と呼びます。
それとは違い、まれに十数秒から数十分にもわたり空中で光るものがあり、それを永続痕と呼び、私が見たものの特長がぴたりと一致します。
長時間の発光と共に高層の風の影響で徐々に形を変え消えていくというのです。しかし、この光の正体は何が光っているのか未だにわかっていないそうです。
永続痕の写真はこちら (肉眼ではこのサイトに掲載されているような写真ほど明るくは見えません。)

短痕の1,2秒の光はプラズマが光っているとわかっていて、その発光の仕組みはオーロラの発光と同じとされています。
オーロラと聞くと、私が見たほのかな光もオーロラに近い光だったのでは!と思ったのですが(オーロラを見たことはありせんが。)永続痕はやはりプラズマが光っているわけではないようです。
それはプラズマが光る仕組みを知ると理解できます。

そもそもプラズマとは、物質の状態である固体・液体・気体を超えたその先にあるもので
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とても高温の状態などで発生し、原子と電子が分離した状態を呼びます。(流星が光るときはとても高温なのでこの状態になります)
このとき分離した電子が、高速で大気の酸素原子と衝突すると、酸素原子は余分なエネルギーを放出しようと光るそうです。
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つまり高速で衝突している短い時間しか光らないのです。そのため、永続痕は何かの物質が燃えているという推測になっているのだと思います。


永続痕はとても珍しいもので、なかなか見ることができませんがしし座流星群では現れる確立が高く、そのため観測の準備もできたため写真も残りました。
永続痕が現れやすい条件とは以下のものです。
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特にしし座流星群では垂直に入り、速度が上がる条件がそろったため見ることができたといわれています。



自分の錯覚かもしれないと思っていたことが今回調べてみると実際に存在することがわかり調べれば調べるほど、出会えたことに一層の喜びを感じるようになりました。
今回見られるオリオン座流星群は、ハレー彗星が落としていった塵が振ってくるため、通過後、既に17年が経ったことで年々数は減ってきてしまっているようですが、今年も素敵な出会いが空やからやってくるといいですね。


(難しい内容になってしまいすみません。
私も今回勉強したものばかりですので、間違っているところがあればご指摘ください。)

参照サイト
Stellar Scenes
流星の部屋
# by naomedia | 2006-10-19 01:18 | カルチャー・エデュケーション