彫刻のある風景で週末を過ごしてみませんか?
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私の出身地の近くの町に、数年に1度のこの季節、
村のあちこちに彫刻が展示され突如として彫刻の里が現れます。

それは都心から約70キロ。田んぼや麦畑などの関東平野の広々とした平地と、
筑波山をはじめとする阿武隈高地山系の山々が交錯する地、
茨城県の桜川市(旧大和村)です。
桜川市はつくば市の隣町で、展示エリアは、つくばエクスプレスが開業したつくば市の中心地から車で約45分というところでしょうか。

このイベント、「雨引の里と彫刻 2006」というもので、10年前の1996年から始まり、
今回で6回目になります。

私はゴールデン・ウィークを利用して彫刻を見て回ってきました。
彫刻の総数は44点。村中に配置されており、役場をスタート地点に、
そこでもらうことのできるイベント用のマップをもらい見て回ることができます。

私は家族と約1日かけて回ってきたのですが、今回も春の気候につつまれ気持ちよく見て回ることができました。
ここで驚かされるのは、展示されている作品のクオリティの高さです。
最初に訪れた際には、正直あまり期待をしていなかったというのが、本当のところです。
それらの気持ちは、展示されているエリアから来ていました。

先ほどから、桜川市で開催されていると言いながら、文中では”村”という言葉を使用しているようについ最近平成の大合併の影響で”市”にはなりましたが、現地の風景は村です。
実際に行かれるとわかりますが、お昼と食べるところもありませんし、展示エリアにはコンビニすらありません。
ジュースの自販機すらなかなか見つかりません。
見に行かれる方は、お弁当を用意していかれるといいでしょう。
そんな片田舎に、大きな彫刻群が現れるのですから、訪れたときの驚きはひとしおです。

e0011904_18392997.jpgそんな土地に43人のアーティストが集まり、自分たちで決めた場所に彫刻を展示するのです。彫刻は以下にも見られるように、石、木、金属、陶器と多種に渡ります。
では、なぜこのようなイベントがこの地域で行われているのでしょう?
それは、桜川市一帯は日本でも有数な石の山地で石材店が多く存在していることに関係しています。
それらの石材店に石を買いに来た彫刻家達が、桜川市の美しい自然の中に作品を展示してみようというように考え、このイベントの始まったと聞いています。

彫刻というと、美術館の真っ白い空間の中に展示されるイメージや、都会の人が集まるところに展示されるイメージがありますが、
素材を産み出してくれた自然の中に、人間の作り出した美しいものを展示することで、お互いの良さを引き立ててくれる印象があります。
特にこの季節は、青い空と、山々の光輝く新緑を背景に、作品がより一層美しく鑑賞できます。
ぜひ週末、お時間がありましたら訪れて見るのも面白いのではないでしょうか。

<雨引の里と彫刻 2006の情報>
広大なエリアに作品が点在しており、推奨ルート(最短距離)で約15キロあります。マップには車で約3時間と目安が書かれています。
私も車を使い3時間~4時間というものでした。
文中にも書きましたが、レストランやコンビニなどはありませんので、準備していかれた方がいいと思います。天気がよければ、外でピクニックも気持ちが良くてオススメです。
車は駐車場があるところもありますが、田んぼのあぜ道などもあり、細い道が何箇所もあります。
役場で自転車も貸してくれるようです。1周15キロなのでかなり距離はあると思います。
ただ基本的に平地なのでそれほどアップダウンはないでしょう。


その他の会場の写真はこちらでご覧になれます。

会期: 2006年4月1日(土)~6月4日(日)
雨引の里と彫刻のホームページはこちらです。
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# by naomedia | 2006-05-13 18:48 | アート ・ デザイン
変化する世界地図
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この時期になると、小学校の入学に伴いランドセルや学習机を買いに行かれているご家庭も多いのではないでしょうか。
私も20年程前、親に連れられて買いに行ったのを思い出します。
特に学習机に関しては、買い物に行った日と届いた日の両方を覚えているので、
さぞ嬉しかったのでしょう。その学習机も高校までの十数年間使い、大学に入ると、私が実家を離れたことから実家に置いたままになっています。

今回は、その学習机の上にひいている敷き物の話です。(この敷き物、デスクカーペットと呼ばれているようです。)
最近では男の子ではポケモンやムシキング、女の子ではディズニーのアリエルやマリーなどが人気なのでしょうか。
ちなみに私の頃に人気だったのはスーパーマリオだった記憶があります。

私も心の中ではスーパーマリオのデスクカーペットが欲しかったのですが、幼いながらもこの机をおそらく大学生まで使うから、きっとマリオじゃ大きくなったときに恥ずかしいなと選ばなかったのです。
そして選んだのが、世界地図のデスクカーペットでした。
なぜ私が世界地図を選んだかというと、もともと世界地図が好きで地球儀が欲しかったけど手に入らなかったというのもありますが、世界地図ならばずっと変化しないと思っていたのです。世界は長い歴史で今の形になってきたんだから僕が大人になるくらいの間じゃ変わらないと考えたんですね。
今となって振り返れば、5才児ながらいい決断をしたなと我ながら驚いてしまいます。

確かに5歳のときに考えていた内容は当たっていました。地形が変わってしまうことも
国境の形が変わってしまうことも、ほとんどありませんでした。ただ、5才の考えでは思いつかなかったことがあったのです。
それは、人の思想の変化です。

私の地図には、またソビエト連邦が大きく描かれていますし、東ドイツ・西ドイツが存在します。ざっとみただけで、私の地図はこれだけ違ってきています。

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一番大きな出来事であるソ連崩壊が影響して起こってきたことですが、先日、トリノオリンピックの入場シーンを見ていても知らない国がたくさんあり、
つい最近独立して国家となりましたという国もたくさんありましたし、先進国でいうならばカナダのケベック州も独立の1歩手前までいくということがありましたので、上記の例はごく一部だと思います。

国独立や名称の変更は決して悪いことばかりではありませんが、戦争や国家の衰退など、どうしようもなくなった状態で起こる場合が多いので、できれば今後の20年ではあまり変化がおきないことを私は願っています。


このように長く使えるだろうという考えから選んだ世界地図でしたが、
デスクカーペットとしていつも世界地図があるという環境は私にとってとてもすばらしい環境となりました。
91年に湾岸戦争が起こったとなれば、ニュースを見たあとに毎日イラクとクゥェートの位置関係が確認できましたし、93年のドーハの悲劇のドーハも、最近「ホテル・ルワンダ」という映画で取り上げられている94年のルワンダの大虐殺の際に難民がザイールに押し寄せているというのもこの地図で位置を確認しました。

無意識に眺めているうちに、人よりも地理にとても詳しくなったというメリットはありましたね。そして大学生の今でも、実家に滞在しているときにはそのデスクカーペットを愛用しているというのも5歳の自分に感謝しています。
逆に、5歳のときにこんな考えを持って行動しているわけですから、
子どもに接するときには、子どもとして扱ってしまうのではなく、
1人の人間として尊重して接してあげる必要があると感じさせられます。
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# by naomedia | 2006-02-17 17:13 | カルチャー・エデュケーション
「どうろ」と「せんろ」
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私が幼かった頃、私の家には「道路と線路」と呼ばれるゲームがありました。
父が当時幼稚園生だった私に買ってきてくれたカードゲームです。

このゲーム、道路・線路・川の3つの要素で描かれたカード140枚で構成されており、3つがそろっているものもあれば、線路だけのものや、道路と川の組み合わせのカードなど様々なカードがあります。
ちゃんとしたルールもあるのですが、幼稚園生だった私は、祖母とジグソーパズルのようにたくさんのカードのなかからつながるカードを探し出して組み合わせていき
毎回出来上がる違った街の姿を楽しんでいました。
とにかくゲームの魅力として、絵がとてもかわいいので、
勝敗という要素をあまり意識せずに、楽しむことができます。

最近、ふとこのゲームのことを思い出し、覚えているキーワードを入れて
ネットで検索したところamazonで購入することができました。
このゲーム、本当の名前は「コンタクト・ゲーム」といい、ドイツ製のおもちゃです。
もう購入したのは20年も前のことですから、売っていないかなと思ったのですが
今でもほとんど同じパッケージで購入することができました。

このゲームの特徴は、幼い子でも、ルールを知らなくても楽しめることですが、
対象年齢は5歳~99歳と設定されて、大人でも十分楽しめます。
最近このゲームを友人と試しにやってみたところ、かなり盛り上がりました。
正直1,2度やってしまったら、子どもの向けで飽きてしまうかと思ったのですが
やるたびにできあがる違う街並みに、勝敗をあまり気にせず盛り上がりました。

このゲームの本来のルールを説明しますと、
最初に各自が裏返したカードの山から、もち札として10枚のカードを引き、
そのもち札は相手に見せた状態に自分の前に並べて置きます。
そして先にできるだけ早く持ち札をなくした人が勝ちです。
手持ちの札でつなげられないときには、またカードの山から引いていき
とにかく最初に引いた最初の10枚をなくした人が勝ちです。
水道管ゲームに似ていると思います。

ただ、友人と試したときの感覚として、大人同士で遊ぶときには、
10枚の手持ちの札を見せない方が楽しめました。
相手のカードがわかってしまうと、相手の邪魔ばかりを考えてしまいます。
そこで手持ちの札をみせないことで、
お互い、なぜ相手がそのカードを出せずにいるのかを推理する興奮が生まれます。
自分の手持ちの札のどれを出せば自分に有利にゲームが進められるかという
テクニックも生まれてきます。


このゲームをやったことがない人には少し不可解な話になってしまったかもしれませんが、
もし興味がありましたら、試してみてはいかがでしょうか。
amazonでは2200円と比較的手ごろな価格で購入することができます。
Ravensburger コンタクトゲーム

アメリカでは Rivers, Roads & Rails という名前で売られているようです。
我が家のネーミングも近からずも遠からずで、ゲームの特徴をつかめていた気がします。

参考サイト
Yahoo! ショッピング
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# by naomedia | 2006-02-13 19:56 | カルチャー・エデュケーション
魅せるオリンピックへの期待
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トリノオリンピックの開幕に、心躍らせている人も多いのではないでしょうか。
今回のオリンピックでは、これまでにないほど女子のフィギュアスケートに関心が
高まっていますね。
私もフィギュアスケートに注目しています。
これほどまで毎日、様々なところで取り上げられると早く見たくなりますが、
フィギュアの日程はオリンピックの終盤に組まれ、オリンピックのフィナーレを飾る大きなイベントとしてみる感じになりそうです。

今回のオリンピックではフィギュア以外にも、フリースタイルスキーのモーグル、
スノーボードのハーフパイプなど比較的新しい種目に注目が集まる傾向があります。
これらの種目に挙げられる特徴として、新しいから注目度が高いというだけでなく
“技”が生み出す美しさを競うというところに注目が集まっているように感じます。
いかに確実に、美しく難易度の高い技を決めることができるか。
オリンピックという肉体の限界に挑む大会から、
“魅せるオリンピック”へと変化してきているのをひしひしと感じさせられます。

このように魅せる競技が増えたのは90年代のことです。
94年のリレハンメルオリンピックでフリースタイルスキーが正式種目となり、
98年の長野オリンピックで、スノーボードが正式種目になりました。
長野オリンピックが行われたとき、私はまだ高校生で
美しさを競うスポーツで優位をどうやって決めるんだ?
人が人の演技を審査して、優勝した人が本当に1番なのだろうか?
と疑問の目で見ていたころもありましたが、年々競技が広まるにつれ、
自分の目も肥え、確かに優劣がつくものだと認識でき楽しめるようになりました。
これは、私だけでなく、広い視野でみても世間で認知されるようになってきたことを考えると同じところがあるのではないでしょうか。


ただ、オリンピックのような大きな大会となると、
毎回、審判による問題が発生してしまいます。
2002年のソルトレイクでもフィギュアスケートのペアで審査の際に不正事件がおきましたし、つい先日も、男子フィギュア日本代表の選考のときも審査ミスでもめました。
今回の大会が終わるときには、そんな審査の問題によって、
興奮や楽しい気持ちを減らされない、大会全体としても美しく魅せられてしまうようなオリンピックなってもらいたいですね。
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# by naomedia | 2006-02-10 20:58 | スポーツ
モリー先生との火曜日 失った心を取り戻す
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このタイトル、みなさんご存知の通りのベストセラーの本ですが、
今回取り上げたいのは、その本が映像化された映画です。

私が初めてこの映画に出会ったとき、私はまだ高校生でした。
当時の私は、映画が好きで毎日、浴びるように映画を観ていましたが
感動して鳥肌が立つことはあっても、涙を流すことはまずありませんでした。
そんな私が、映画のなかで死に直面し、本人も死に寂しさを感じながらも
自分の考えを話し続ける大学教授の存在と、それに向き合いながら変化していく、
スポーツライターの気持ちに涙を流してしまった記憶があります。

とても好きな映画の1つで、いつも心のどこかでまた観たいなとずっと思っていましたが、
振り返ってみると、これまでこの映画を他の人に紹介したことは一度もありません。
理由は、もとがアメリカのTV映画として放送されたもので、日本でも劇場公開はなく、
NHKで放送されただけというとてもマイナーな作品であったということと、
DVDで発売もされてはいますが、なかなか店頭で見かけることがないという事情がありました。また、本のほうが有名であることから、わざわざ映画として紹介しなくてもと思い、
つい人に話すことなく隠れてきてしまった映画です。

そんな、隠れた感動作がいま(2月中)、インターネット放送のGyaOで見ることができます。
私はあまりGyaOを利用しないのですが、6年程前、ふとテレビで放送されていたこの映画に出会ったときのように、珍しくサイトを訪ねた際に、またこの映画と出会うことができました。

最初に見たときから6年。前回は、教授の存在感に惹かれた私ですが、
今回はこの物語の中で、教授と向き合い気持ちが変化していくスポーツライターの方に
釘付けになってしまいました。
この主人公は、スポーツライターという仕事柄、締め切りに追われ、身近な人とのコミュニケーションがおろそかになってしまっています。
そんな主人公に、今の自分が重なって見えてきてしまったのが、今回私がスポーツライターの方に注目させられた理由です。

「やらなければいけないから、やるしかない」
周りの人からは、やりすぎ、働きすぎといわれ、仕事を削るように言われるが、
一度依頼を断れば次の依頼はほぼ来ない。
そんな状況は、スポーツライターもデザイナーも一緒なんです。
自分では、精一杯幸せをつかむために生きているつもりなのに、
その分忙しくなりどんどん身近な人との「距離」は開いていってしまう。
6年前は、何をしているんだこの主人公はと思っていた人間に、今の私はなってしまっていることに気づかされました。


数年前、大学の教育関係の授業に講演に来た方がこのような言葉を
おっしゃっておりました。

私は、「忙しい」という言葉を使うのが大嫌いです。
「忙しい」という字は
「りっしんべん」と「亡くす」という字でできています。
りっしんべんは心という意味です。つまり忙しい状態とは心を失ってしまう。
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このような状況は、教育には絶対あってはならないことなので、
私は「忙しい」という言葉は使わないようにしているというのです。

残念ながら、そのときの講義の内容は忘れてしまいましたが、
この言葉は強烈に私の心に残りました。
この映画では、まさしく心を失ってしまった状況から、
死と直面した教授とのコミュニケーションをとることで、
徐々に心を取り戻し、自分の生きる目的を手に入れていく部分に
フォーカスをあて描いています。
僕も、心を失うだけではなく、生きる喜びを感じて生きていければ
なんて素敵なのだろうと、以前観たときとは別の視点で感動させられました。


前回の記事では映画「ミュンヘン」を取り上げました。
あの映画のコピーとして、「いま、世界に問う。真の平和とは」とありましたが、
利益追求主義の行き過ぎたことによる事件が多発している現代の日本において私は
「いま、世の中に問う。真の豊かさとは」というコピーで
この映画をみなさんに紹介したいと思います。

ぜひ、GyaOにて無料で観ることができますので、
この機会にご覧になってみてはいかがでしょうか。
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# by naomedia | 2006-02-07 17:37 | 映画
ミュンヘン・・世界を視野にいれた互いの理解
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ミュンヘンを観てきました。
上映時間が長いと言われていますが、私の感想としては、
死と隣あわせの緊張が続き、中だるみなく観ることができました。
おそらくこの緊張感は、映画館だからこそ生まれるものだと思います。
少しでも観てみたいなと感じているのでしたら、ぜひ映画館で見て欲しい映画です。
また、この手の映画では、人間関係が複雑に絡みあい、
途中で話がわかりにくくなってしまいがちですが、
ストーリーを見失うこともなく、ストレートに観ることができました。

また、それ以上に
主人公の人間性の変化や、任務より帰りたいと感情になるなど
主人公と見ている私の感情が同化していく感覚になり不思議な感覚でした。

このところ、私のスピルバーグに対する評価は下がり気味でしたが、
複雑な背景、主人公の心理、長いストーリーながらもクリアで緊張感を切らせない
テンポのいい展開が、かなり力を入れて作ったことを感じさせられます。
もしこれから観に行こうと思っている人は、
このページを一度読んでおくとよりわかりやすく観ることができると思います。
(ネタバレにはなりませんので安心ください。)
ミュンヘンオリンピック事件・・・Wikipedia
ミュンヘンオリンピック事件のことを詳しく知らなくても、十分理解できますが
読んでおくとよりクリアに伝わると思います。


この映画の最も訴えたいこととして、
「戦いの無意味さ」ということであるとテレビなどでも取り上げられているます。
このテーマは見終わった後に、強烈に感じることができました。
そこで、その部分は映画に任せておくとして、
今回のコラムでは
その一歩先として”世界を視野にいれた相互の理解”を取り上げてみたいと思います。


今回の映画とは直接的な関係にはありませんが、911を取り上げた
「テロリスト」がアメリカを憎む理由 芝生瑞和著
という本の書き出しにこのような文章があります。
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これは、ジャーナリストとして可能な限り公平であろうと努めるための判断として
ロイターでは下されたました。ただ、ほとんどの通信社は普通に報道していたのでで、
中継で観ている時点で私たちは正義と非正義を決めて観てしまっていたわけです。

それは、このような国家的な問題に限らず、
1つのニュースにおいて、国によって報道のされ方が違うというところにも見て取れますね。
先日のライブドアの事件でも同じです。テレビのニュースの中でも各国での報道に差がありました。

このように新しいニュースが伝えられるたびに、
私たちはどちらかの立場に立ってみています。
もちろんある程度は仕方のないことですが、その報道には既にフィルターがかかっていることを認識し報道こそすべてとしてしまうのではなく、相手も同じ人間であること、
どうして憎み合わなければならないのか、どんな考えから来ているのかを
多くの人が知る必要があると感じさせられるようになりました。


すこし映画の話題からはそれてしまいましたが、
この映画は決してオリンピックでおきた事件がメインテーマではなく、
中東問題がメインのテーマでもないと感じています。
34年前に起こった問題を取り上げ、映画にすることで、
現在、世界が直面している問題に対して、必要なことを映画全体として伝えてきてると私は感じました。
そのようなメッセージは決して画面に文字では表記されていませんが、
それはきっと終盤の映画の舞台が私たちに明示しているのではないでしょうか。


参考文献
「テロリスト」がアメリカを憎む理由・・・中東問題に関して歴史も含めまとめてあります。
標的(ターゲット)は11人―モサド暗殺チームの記録・・・ミュンヘンの原作になった本 部隊の元メンバーの告白を基にしたノンフィクション
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# by naomedia | 2006-02-04 22:15 | 映画
新しい表参道に期待
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安藤忠雄さんの設計で進められてきた表参道ヒルズが完成しました。
11日にオープンなので、表参道ヒルズに私はまだ訪れることはできていません。
ただ、今回のオープンで私が注目しているのは、
この表参道ヒルズの特徴であるスパイラルスロープです。

スパイラルスロープとは、建物の中の通路をらせん状のスロープで構成し
そこにショップを配置する構造のことです。
つまり、そのスロープを歩いていけば、階段もエスカレーターも使わずに
建物全体を一本の道で歩いていけるわけです。

このスパイラルスロープの存在を知ったときに、
フランク・ロイド・ライト設計のニューヨークのグッゲンハイム美術館のスロープを
頭に思い描いた人も多いのではないでしょうか。
グッケンハイム美術館・・・(参考サイトWikipedia)


表参道ヒルズのこのスロープは、
長さが表参道の全長と一緒の長さで、その勾配も同じ角度になっているといいます。

このスパイラルスロープを歩いてするショッピングは、
私が以前の記事で書いた、日本人の街をブラブラ歩きながらする
ショッピングのスタイルがそのまま建物の構造として成立したように感じています。

これまで、階ごとに切り離されてしまっていたお店が
一本の道でつながることで、訪れた人は
建物の中に新しい街ができたような感覚になるのではないでしょうか。
これまで、いろいろな人が集まり、街のシンボルであった同潤会アパートのなかに、
新しく生まれるリトル表参道。
早く訪れてみたいですね。
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# by naomedia | 2006-02-02 18:39 | カルチャー・エデュケーション
100円ショップはどこからきたの?
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日本とアメリカの文化の差をテーマに3回にわたって
書いてきましたが、今回が最後です。
今回は100円ショップについて書きたいと思います。

100円ショップが日本で普及し始めたのはここ10年の話です。
それ以前は、スーパー等のイベントとして不定期に開催されていたものでした。
その頃は、商品といえばプラスチックの箱や洗濯バサミのように商品も限られており、
プラスチックの製品が多くを占めていた気がします。
でも店舗として独立した後は、
生活に必要な小物のほとんど欲しいものが揃ってしまうくらい商品が充実していますね。

このような変遷を見てきたので、
私は、100円ショップは日本独自のものと思ってきたのですが
アメリカにも同じものがありました。
もちろん向こうは単位がドルなので、1ドルや99セントショップというようになります。
売っているものは食器、お菓子、雑貨、日用品と何でも揃い、
商品自体は違いますが内容は日本のダイソーなどとほぼ一緒です。
日本とほぼ同じ様子ですが、お店での売れ筋商品を聞いてみると、
1ドルワインらしく、入荷するとすぐに売れてしまいいつも品切れ状態のようです。
酒類がおいてあるところが日本との法律の違いでしょうね。
日本では酒税も関係し、100円では置けないのでしょう。


e0011904_1455581.jpgそれでは、100円ショップとはいったい
どこで生まれたのでしょう。

アメリカでは、「日本にはこんなお店あるの?」と何人かに質問され、僕が日本で生まれたものと信じていたように、現地の人はアメリカで生まれたものだと思っているようです。

今回このコラムを書くにあたり、いろいろ100円ショップのルーツを調べてみたのですが、決定的なものは見つかりませんでした。
(僕が行ったお店の歴史を読んで見ると1986年に1ドルショップの1号店を開店と書いてあり、日本よりも前であることがわかります。しかし、いくつも同じような会社があるのでルーツは定かではありません。)

ただこの形式のお店は、日本やアメリカに限らず、
ヨーロッパでは1ユーロショップ、
中国では一元店と世界に展開していることがわかりました。
世界中、文化は違っても、すべての商品が手軽な額で買えるわくわく感と、
生活だけではなく、趣味においても遊び心も満たせてくれている楽しさは共通のようですね。
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# by naomedia | 2006-01-25 15:03 | アメリカ
日本人はショッピング好き?
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前回から3回の予定で「日本とアメリカの文化の差」をテーマですすめてきておりますが、
今回の題材は「ショッピング」です。
前回の記事はこちらから読むことができます。

よくショッピングが好きな日本人ということを言われますが、
正直、私自身はその部類には入らないと思っていました。
例えば、私は海外に行っても簡単なお土産以外は買いませんし、
ディズニーランドの帰りにも、「おみやげ買わなきゃ!」と張り切ることもありません。
ただそんな私でもアメリカ人の視点で見てみると、やはりショッピングが好きな日本人というグループに属していたようです。

そのことに気づかされたのは、アメリカ滞在中の会話です。
ある日「普段の週末は、日本ではどんなことをして遊んでいるの?」という質問をされました。

大半の週末は、制作活動などで潰れてしまう私ですが、しいて言うなら
「友達と映画を観にいったり、都心にでて美術館や、デザイン関係のイベントに参加して、
帰りは街をブラブラして帰るよ」と答えました。

何気ない答えでしたが、この自分の発言の中に日本人の要素がたっぷりたまっていることに、彼から気づかされました。
皆さんはこの答え方のどこに日本人の要素があると思いますか?
見方によっては、美術に興味を持っているところかもしれません。
でも、彼らが注目したのはそこではなく、
「街をブラブラして何するの?」というものでした。

僕にしてみれば、新宿や青山を歩いて、何か気に入ったものでもあれば買って帰ろうかなというくらいの気持ちで“ブラブラ”なのですが、この行動をうまく説明できる言葉が見つからないのです。
必ずこれを買いにいくんだと思って歩いているわけではないですし、
買う気がないわけでもない。
この行動は、都心に限らず、週末になんとなく特に欲しいものはないけれど、
ホームセンターにでも行ってみようかなという気持ちと同じです。

「まだ、帰るには早いから、ちょっとどこかお店でもよって帰ろうかな?」や
「気分転換にちょっと近くのホームセンターに行って買い物でも・・・。」という
このような考え方が日本人なんですね。
日本人は買い物という行動を楽しんでいて、1つのエンターテイメントにしてるのですよ。
それは、海外や旅行だけと僕は思っていましたが、普段の生活から買い物はスーパーにでも夕飯の材料を買いにいくというような形態以外は楽しみにしているんですね。


次にされた質問は、1人や仲のいい友達とそんな感じで楽しんでいるのなら、
「日本の大学生はデートでどんなところにいくの?」と聞かれました。
これは、千差万別あってわからないと答えたのですが、
そのときは丁度、夏だったので、
この時期だったら車持ってる学生は、海に行ったりするだろうし、そうでなければディズニーランドは近いから結構みんないってると思うよと答えました。
「でもオーソドックスなパターンでは、映画とか何かのイベントで出かけて、
おいしいものでも食べて、その近くをブラブラして帰ってくるのが多いんじゃないかな。」
と答えると、また「ブラブラしている」という言葉が入っており、やっぱりデートでもショッピングしてるのねと笑われてしまいました。
アメリカでの考え方では、ショッピングは、日本のスーパーでの買い物のようにしぶしぶいくという印象がつよいですから、デートでショッピングするなんて考えられないですよね。
映画やドラマを見ていても、デートでショッピングをしているシーンなんて見たことありません。もしあるとするならば、女の子同士がモールなどにいって、「この服どうかな」と相談しあっているようなシーンばかりです。


これらの考え方の差は、国土の広さの差から来ているではないかと僕は感じています。
日本の都市部では、いろいろなものが歩ける範囲にぎゅっと詰まっています。
そのため、目的地を決めて移動しているときに、何かしら探しながら遊ぶようなところが私たち日本人にはあるんです。
いい例としてデパ地下がありますね。
なにか目玉商品(都心では映画・イベント→デパ地下ではマグロ・駅弁)があって足を運び、それでそのエリアに行けばきっと何か他にも何かあるかなと思うといろいろ楽しいものに出会えるというものです。

でも、アメリカでは移動はすべて車なのでこうはいかないんですね。
服は服のお店ですし、食品はスーパーと区切られてしまいます。
デパートと似たものとしてモールがありますが、もしそのモールで気に入らないものがあったとしても、近くにお店があまりないので、他のお店にいってみようという
考えにもなってこないわけです。
そんな環境で生活していると、自分にあった商品を探す楽しみよりも
必要だから買いにいくというスタンスになってくるのではないでしょうか。
すると、便利だから使い勝手がいいからというものがデザインなど他の要素よりも
重視され、社会全体的に合理主義的な考え方が広まっているように感じます。
その逆もありますね。便利で使い勝手がいいものだけが広い国土のアメリカに普及できるのかもしれません。


ここまで、ショッピングに注目して話してきましたが、
ショッピングに限らず、日本の生活の話をしていて
よく言われたこととして印象的な言葉があるのです。それは
「君は、日本でニューヨーカーみたいな生活をしているね」
というものです。これは何人もの人に言われました。
それは、普段から電車をよく利用して、地下鉄も自由自在に乗っている。
そして欲しい商品は何件も回ってお店を探しているし、
ミュージカルの話になれば、僕は日本ですでに観ているし、
アメリカのロックミュージシャンだってやってくる。

僕の生活圏は、都心から電車で1時間と
日本でいえば決して都会といえない場所なので、この言葉には驚きましたが、
世界的にみれば、これだけ交通機関が発達し、店舗や
エンターテイメントが集中しているのはとても特異な環境なのだと思えてきました。
そんな環境で生活し、慣れていると、
人はただ商品を手に入れるだけで満足するのではなく、
こだわりを持って商品を選ぶようになってくのだと思います。
そんな背景が日本人のショッピングスタイルを生んできたのではないでしょうか。
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# by naomedia | 2006-01-21 20:29 | アメリカ
フォーマルな日本語とカジュアルな英語
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前回は教育をテーマに取り上げましたが、今回から
「日本とアメリカの文化の差」をテーマに3回の連載をしてみたいと思います。

僕がアメリカに滞在中、アメリカ人の知人が週末、僕を遊園地に連れて行ってくれました。
その帰りの車中で、その日一緒に遊んだ他のメンバーの話になりました。

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“面倒”と片付けてしまいましたが、その大本には若い人が敬語があると思います。
日本人はいつも敬語を話さなきゃいけないために
楽しい気持ちを共有したくても、どうしても心が開けないというところが
日本語には存在していると思います。

この感情の共有のいい例として、僕とその40代の知人との遊園地での会話があります。
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この会話だけ見ると20歳も歳が離れているとは思えないですよね。
こういうことができないため、日本人は同じ位の年頃の人と出かけたり、
遊園地に行くにしても40代にもなれば自分の家族と行くんだと思います。
他の家族を誘っていくこともとてもいいことなんですが、
二つの家族の間はやはり仲が良くないと、
敬語や気遣いが存在してきて、うっとうしくなってしまうのでしょうね。


このような気遣いがない分、英語の特徴として、
仲良くなるまでの時間がすごく短いと感じました。
日本語ではまず初対面のときに、必ず敬語から入ります。
このことによってまずお互いの間に垣根を作ってしまうのです。
そして、その垣根を取り払っていくのに時間がかかるんですよ。
先ほど例に挙げた、遊園地での会話だけを見ると、普段から仲のいい友人に見えますが、会話したのはほとんどこの日が初めてと言っていい関係です。
この人間関係を体験すると、英語はすごくカジュアルで便利な言葉で、うらやましいな~と感じてしまいます。


では、どうしてこんなにお互いの言語に差が生まれたのかと思い、ルーツを探ってみると
宗教に影響があるのではないかと感じるようになりました。

日本の文化は、約2千年前に中国で生まれ、飛鳥時代に日本に入ってきた
儒教に大きな影響を受けてきました。
儒教では年上の人(特に男性)を敬う「祖先崇拝」とことが大切とされてきました。
そして、この儒教には他人を敬う気持ちとして
「仁」というものが存在するのです。
またもう1つ、自分の心の中で思っている「仁」を外に表す行為として
「礼」というものがあるのです。この「礼」が現代の社会でも敬語として残っているのです。
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逆に英語はキリスト教など一神教の環境で作られてきました。
一神教においては、人の上に人は作らずという考えで、
神以外はすべて人間という考えに影響を受けてきたため、
敬語がない言語になったと考えています。(これはあくまで僕の意見です)


このように長年にわたって作り出されてきた言葉なので、使っている私たちは何も違和感持っていませんが、
アメリカ人の知人は敬語によって人の名前が変化することをすごく驚いていました。
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例えば上の図にもありますが、最初は必ず「○○さん」から入り、
年上だとわかるとそのまま「○○さん」を使い、同じ年とわかると「○○君」、女性なら「○○さん」を使う。そして年下だとわかるといつの間にか呼び捨てになる。
そして1番変化していくのが同じ年の人で、
仲良くなると苗字を呼ぶのではなく名前を呼ぶようになったり、ニックネームに変わっていったりするんです。
ここまではアメリカの知人にも理解してもらえたのですが
この先の説明がとても難しかったのです。

過ごす時間によって人の名前は変化しますが、
いくら同い年で毎日顔をあわせて会話していても、
ただのクラスメイトというように、すごく仲が良いという関係が成り立たない人には、
「君」や「さん」を使い続けますし、
職場では年上、年下を意識せずに、基本的に苗字+「さん」を使うことが
好ましいとされていたりと、これらのルールはとても曖昧なんです。
こんな曖昧なルールの中で、私たちは常に相手に気を使いながら生活をしているんだなと
アメリカ滞在中に気づかされました。

このように考えてくると、
海外ではみんなが自由に意見を言い合うのに
日本人はあまりそういうことをしないということも見えてきますね。
英語にはいつでも対等に話し合えるフィールドが、既に言語の上できているんです。
そのため、欧米のグループワークの手法をそのまま日本に持ってきても、
どこかぎこちなくなってしまうことがありますね。
ただ日本人が意見をあまり言い合わない、自分をアピールしないという理由を掘り下げていくと、実は儒教の縦関係の構造だけでなく、老荘思想の影響が強いなど、もっと他の要素が関係してきてしまうので今回は削りたいと思います。


このように日本語はすごくフォーマルな言語で使いにくさがありますが、
その曖昧さから、いつも相手に気を使うような日本人の人格や独特の繊細さ、
そして文化が生まれてきたと思います。

スイスのソシュールという言語学者の考えで、
「言葉とは社会的な約束によって決まっているというものがあるのですが、そのように社会(人間)が生みだした言葉を長年使ってくることによって、
今度は人の方が影響を受け人間性自体が変わっているのではないかと僕は考えています。

今回は「言葉」がテーマで難しくなってしまいましたが、次回はもっと気楽にショッピングの話を書きたいと思います。
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# by naomedia | 2006-01-18 22:41 | アメリカ