先日、これまでの記事を数えてみるとちょうど50回でした。今のようなペースで更新を始めたのが去年の10月中旬なので、1年で50回となりました。(都合で半年は休んでいましたが。) 毎回違うテーマを取り上げる為、方向性を見失うことや、自分のスタイルを未だに模索している状態ですが、来て頂いている皆さんには本当に感謝しております。 実はこのブログを始めるときにテーマが設定できなかったため、ルールを決めていました。 ルールに縛られすぎずに書いてみようと試行錯誤しています。 ブログを書いている人は感じている方も多いと思いますが、更新を続けていると悩みが生まれることがあります。代表的なものは「書きたくなくなったらどうするか」「来てくれる人が少ないのをどうするか」等です。そんな困った状態になったとき私は 「ウェブログ・ハンドブック レベッカ・ブラット著」を何度も開いています。 この本にはどのブログサービスがいいかや、訪問者をどのように増やすかなどというような一般的なブログの指南書のようなことは書いてありません。 書いてあるのは「ブログを通して得られる大切なものは何か」です。読みやすいですがとても分析的です。ブログの持つ本質について書かれています。 実はブログを始める前に一度読んでいたのですがそのときには理解できない内容が多かった記憶があります。逆に言えばブログを運営していて初めて直面する問題について詳しく書かれています。 著者のレベッカさんはカリスマブロガーで、ブログが誕生した頃からブログを運営し、世界中に拡大してきた様子や自分や他の人のブログの体験をもとに書かれているので他の本に比べ説得力があります。 実はレベッカさんとは講演で来日した際と、米国で1度ずつお会いしたことがあり、お会いする前に本は読んでいましたが、当時私はまだブログを持っていなかったためブログについての話をあまりしませんでした。今は後悔ばかりです。しかし2度お会いしたことが私にブログをやってみようという気持ちを与えてくれました。 本の内容は運営についてが多いですが、こんな一節があるので紹介したいと思います。 私が書く目的を失いかけてしまうときも、ほぼこれらの要素が関与しています。 閲覧数を意識しだすといつまでたっても満足できないものです。人気ブログを運営しているレベッカさんですら数には不満ばかりだと本の中で書いています。 ブログをつけることで何がプラスなのか、他の人とのコミュニケーションなのか、知っていることを共有したいのか、自己表現したいのか、目的を忘れずに更新していきたいですね。 タイトルの50mを泳ぎきった気分とは、迷いながらもスタイルを変え書いてきたのが、50mのプールを何度も足をつきながら泳ぎきった気分に似ていたのでつけました。私自身、安定しないスケジュールで動いているのでいつまでこのブログを続けれるかわかりませんが、いい記事を書けるようになることを目的に更新していきたいと思っています。 そのためには、今回のように1800字も書いているよな文章ではなく、まずルール⑥として「800字に収める」を加え、少しでも簡潔に書けるように努力したいと思います。 <参考文献> ウェブログ・ハンドブック レベッカ ブラッド (著) 毎日コミュニケーションズ <リンク> ウェブログ・ハンドブック 立ち読みコーナー レベッカ ブラッドさんプロフィール #
by naomedia
| 2006-10-15 00:28
| カルチャー・エデュケーション
この夏、アメリカでは地球温暖化への関心が非常に高まっていました。どのニュース番組を見てもglobal warming=地球温暖化についての話題ばかりで、この夏一番多く耳にした単語だったかもしれません。 この状況は驚きの連続でした。車社会、石油垂流し、CO2削減を約束した京都議定書の破棄という無関心なアメリカ像とは正反対なものがそこには存在し、1本のドキュメンタリー映画が全米で旋風を巻き起こしていました。 それは「不都合な真実」(英題An Inconvenient Truth)」という映画で元副大統領のアル・ゴア氏が制作したものです。 この映画ドキュメンタリーということもあり最初は77スクリーンという小規模な公開で始まったのですが、それでも全米top10に入り、その後徐々に拡大していき映画もゴア氏も注目を集めていました。(私も滞在中に知人と見に行く予定だったのですが急用で行けず、その後まもなく帰国となってしまい、今でも現地で見られなかったのが心残りです。) 私の滞在地の近くの書店にゴア氏がスピーチに来た際には、著書にサインをもらうのに3、4時間待ちの末会えたと会いに行った人は言っていました。 この人気ぶりに最初は、先の見えないテロ対策一辺倒のブッシュ大統領に対しての反感がゴア氏支持へと結びついているのかと思ったのですがそうではないようです。 何人もの人に聞いても、彼は次回の選挙に出馬するほどの支持はなく、本人も出る気はないと言っています。純粋に人々の感じていた危機感が、この映画を皮切りに噴出したのです。 前回の記事で私は日本での取り組みが徐々にうまくいっていると書きましたが、あの騒ぎ方を見ていると今のペースでは遅すぎるのではないかと何度も感じさせられました。 日本では温暖化といえばヒートアイランドのように都会に集中して問題視されていますが、 米国ではいつも地球全体の変化を取り上げており、どこかの都市に注目したものではなかったのです。 冒頭で少し京都議定書のことに触れましたが米国では多くの人がそのことで心を痛めていました。それを表す印象的な言葉を私は知人から聞かされました。 「私たちはあの約束を守りたいし努力したい、でも国が一方的に破棄してしまった。他の国の人に申し訳ないし政府に憤りを感じる」というものです。この言葉を聞いて、また私の中での環境に配慮しないアメリカ像は崩れました。まず普通の人が日常会話の中でこんなテーマを日本ではしないですし、CO2の削減を自分でしようとする気持ちすらなかったからです。 そんな良い方向を感じた反面、残念な現状もありました。 「関心はとても高いし危機感はあるけれど、それ以上に多くの人が海賊の映画のほうが好きみたいね。」というものでした。 この二つの言葉に、今の米国の実情を垣間見た気がします。 日本での公開は来年の1~2月のようですが、六本木では10月28日からの公開が決まったようです。 日本でも旋風を巻き起こし、多くの人に目を背けてきてしまった不都合な真実に目を向けさせることができるのか。運良く私は日米両方の反響が見られそうなのでどのように受け入れられるのかその様子を注視してみたいと思います。 日本の公式サイトが最近オープンしたのでリンクを貼っておきます。 予告映像がすぐにご覧いただけます。 公式サイト・・・不都合な真実 書籍版・・・不都合な真実 #
by naomedia
| 2006-10-10 23:57
| 映画
前回の記事でも少し触れましたが私の小学校でも活動をしていましたが、おそらく今は行われていないでしょう。 それはあの頃リサイクルに回そうと回収していたものの多くが、今では分別して捨てざるを得なくなりほとんどの人が強制的に参加させられているからです。 90年代の典型として、こんなにゴミとして処分してしまっている、無駄遣いをしているという統計をみせた後、それらにはまだこんなにポテンシャルがあると紹介しみんなで取り組もうという訴えでした。 最近でも同じようにまず危機感を伝え、これ以上悪くならないように行動しようと訴える構造に大きな差はありませんが徐々に変化し2000年代のスタイルが生まれてきていると感じています。 その象徴的なものがテレビで放送されている「素敵な宇宙船 地球号」と流行の「ロハス」です。 「地球号」の中では単に危機感を伝え、さあみんな取り組もうというような押しつけがましい構成をしていません。 まず多くの人が興味をもちそうなテーマから入り、それらが悪化してきている現状を伝え、そしてそんな中でもうまくいっている取り組みを紹介しています。 ここで注目して欲しいのはうまくいっている結果報告が含まれているということです。 そしてロハスにおいては生活全体を楽しみながら無理なく環境にやさしい方向で生活していけるような取り組みを提案しています。しかもオシャレに。 以前の活動では、普通の人がするには少し腰が重くなってしまうことを進んで取り組もうとしていましたが、やらない人にとってはいつまでたっても一部の活動者と見られてしまっていました。 また、ダメだダメだとアナウンスをいつもされているがゆえに、取り組んでいる人たちにも「やらない人がいるのだからこんな活動をしていても効果はないのではないか」と離れさせてしまう結果を生んでしまいました。 このダメだと伝わることでの悪循環は今のプロ野球人気問題にも似ていないでしょうか? 試合がつまらない、人が集まらない、視聴率が上がらないとばかりアナウンスされていると私たちは興味を失いかけていますし、もしいい試合があっても先入観から「どうせ」とチャンネルを回してしまたりスタジアムから足が遠のいてしまっているでしょう。 いいところを紹介すれば、春のWBCや夏の甲子園のように全国民の興味を惹きつけられるだけのポテンシャルが野球の中にはあるはずなのですがどこかに潜んでしまっています。 危機的な現状を紹介することは最初こそ大きなエネルギーとなりインパクトはありますが、繰り返すと徐々に人の気持ちも興味もモチベーションも下がってしまうのです。 とはいえ危機感を伝えることはとても重要です。まず私たちがどうにかしなければということに気づかなければ何も始まらないからです。 しかし今の日本において、環境問題について知らない人はまずいないでしょう。 危機を紹介する時代は終わったと思います。 これから大切なことは自分たちの活動がうまくいっていることもアナウンスされ、 そして取り組むことが現状のかっこいいという認識から自然なこととして受け止められることだと思います。 それはかっこいいには賞味期限があると思うからです。 取り組むため入り口にはとてもいいものですが長い期間 「エコライフ(ナチュラル志向)=素敵な生活」の形が保たれるとはあまり思えないのです。 取り組むことが、まずかっこいいライフスタイルとしてこれからの日本の生活として定着し、 その後ごく普通なこととして取り組んでいられる時代が今後10年間で根付き、 10年後にはより上のステップの活動が行える土台が生まれていれいて欲しいと思います。 #
by naomedia
| 2006-10-09 00:28
| カルチャー・エデュケーション
子どもの頃の経験したことは大切です。 もし小学生の頃、私が描いた作品が入選していなかったら、きっと私はデザイナーになっていないでしょう。 初めて自分のデザインが社会で利用されるようになったのは大学生のときに採用されたロゴだと思っていましたが、もっと広く振り返ってみると自分のデザインが初めて多くの人に使われたのは小学校5年生のときだと気づきました。 私の通っていた小学校では、空き缶・古紙回収など環境問題への取り組みを行う、アースデイという日が毎月ありました。 そのアースデイが始まるとき、登下校時に肩にワッペンをつけることになり全校生徒がアイディアを一案ずつ出したのですが、そのときに採用されたのが私の描いたデザインでした。 そのデザインは、印刷会社によって本格的なワッペンに仕上げられ、登下校時にみんながつけている姿、私が卒業後もつけて登下校している小学生を見て、自分の制作したものが利用されている喜びと、多くの人が使用している責任感を感じたものです。 私が今、デザイナーとして日々感じていることと同じ事を小学生のときに私は味わうことができたのです。 その後、モノを作ることとは離れて過ごしてきたのですが、進学する大学を選ぶ高校2年生の段階になって初めて私は、大学進学と就職はセットでやってくる現実に気づかされ、大きな不安に包まれました。 就職はずっと先と思っていましたが、わずか17年間の人生で経験したことの中から導き出さなければならなくなったのですからパニックです。 小学生の頃には、新幹線の運転手や教師というように自由な発想で将来像を思い描けていましたが、高校生にもなると自分の偏差値、学費、進学後の評価など様々なプレッシャーがかかり、自分のなりたい将来像を描くのにどんどん視野を狭めていってしまいます。 このプレッシャー自体は、将来の決断をするのですからしょうがないのですが、 でも、そのときに自分の将来の目標が定まらないのはいい状態ではありません。 大学で将来の夢を見つけることもあるでしょうが、やはり大学を選ぶ段階で大きな目標は決まっていた方がいいものです。 この選択を行うときに、小学生のときに経験した喜びや持った夢、経験はその選択に大きく関わってくると思っています。きっとその頃には、何にも束縛されない自由な自分の考えがあったと思うからなのでしょう。 私の場合は運良く、絵を描くことで多くの人に使われたときの喜びという経験があったので自分の好きな道に進んでこれましたが、正直に申しますとあの選択を行うときに、教師とデザイナー以外の選択肢はあまり想像できませんでした。 小学生の頃にもっと多くの経験ができていたならば私の人生はまた違った方向に進んでいたことでしょう。 「百聞は一見に如かず」という言葉がありますが、私は 「十見は一体験に如かず」だと思っています。 牛という動物すら知らない人間が100回、牛の乳搾りについて聞くよりも 1回見た方が遥かに理解することができるでしょう。 同じように10回様々な職業見学に行くよりも 1回体験した方がずっと多く楽しみ、喜び、苦労、コツ、行程などが理解できるでしょう。 音楽でもそうですね。 家でCDを聞いているよりも、一度コンサートに行ったアーティストの方が遥かに心に残りますし、その後も強く興味が沸いてくるものです。 体験したことは、一時期だけでなくその後も生き続けるのです。 様々な職業の体験できるキッザニアですが、多くの子どもがそこで体験したことを通して、自分の心に私の将来という種を撒き、その後もその成長を手助けし、10年後、20年後にその花をさせて欲しいと思います。 キッザニア・・・・公式ページ キッザニアについて・・・東京キッザニア広場 #
by naomedia
| 2006-10-04 00:26
| カルチャー・エデュケーション
サンフランシスコといいますと、霧の街というイメージがありますが、私が滞在した期間のほとんどは雲ひとつない青空が広がっていました。 日本でも秋や冬には空気が乾燥し、澄みきった青空になりますが、夏の青空は多湿でどこか霞のかかってしまいます。 真夏の澄み切った青空が珍しく感じた私は、その空ばかりを写真を撮影してしまいました。 この写真を見ると名物の霧は珍しいのかと感じるかもしれませんが、霧は頻繁に現れます。 ただ多くは夜から朝方にかけてで、昼間に現れる事はそんなに多くはありません。 私が滞在していたところは、SFから80キロくらい離れてしまうのですが、 そこでは霧は地上よりも高い位置に毎朝現れました。 そのため朝はいつもどんよりと曇り、夏なのに寒いのです。 ちょうど現在の日本の朝の涼しさが夏でも存在します。 しかし、毎朝9時を過ぎた頃、10分くらいの間にたちまちその雲は消え、雲ひとつない青空が広がるのです。 左から2枚目の写真で、右の山の上のほうで雲が薄くなり、そのまま左に雲が流されていくのかと思いきや、そのまま雲が分かれて空に消えていってしまうのです。 空にばかり興味を引かれてしまい上ばかりを見て歩いていると、街灯に取り付けられている看板が目を引きました。一枚目は、SF RISINGキャンペーンの広告、そしてもう一枚は、サンフランシスコ・シンフォニーの広告です。 SF RISINGはSFを襲った大震災からちょうど100年目を記念し、あの出来事から復興とこれからを考えるキャンペーンで、そのシンボルに不死鳥(フェニックス)をつかっているようですが、その広告はまるで後ろの青空を切り取ったようなデザインをしています。 そしてもう一枚のサンフランシスコ・シンフォニーの広告は、雲ひとつない青空にまるで、ト音記号の形をした雲が浮かんでいるように見え目が留まりました。 これらの広告を見たときに、気持ちのいい広告だなと感じたと同時に、雲ひとつない晴天が毎日続くこの地だからこそできる手法だなと思いました。 この青空のおかげで毎日快適な生活を過ごせたのですが、 他にも素敵な出来事を私にプレゼントしてくれました。 それは、写真をご覧になって感じると思うのですが、 光が強いのでとても画像がきれいに、そして発色よく写るのです。 考えてみると、カメラを購入しようと思いパンフレットを開くと、必ずといっていいほど地中海周辺で撮影した、イタリアやフランスのサンプル写真が写っていますね。 日本ではなかなかあの光はでないのです。 SFもワインの産地として有名なように、地中海性気候で同じような環境で光が似ているのでしょう。 街だけを撮影していたら気づかなかったと思うのですが、 青空を撮影していて、「ああ、この気候と空のおかげで写真まできれいに写せているのだな」と光の持つ力にも気づかされました。 #
by naomedia
| 2006-09-30 15:13
| アメリカ
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