今年もバラが咲く季節になりました。 バラは花の中でも特別なイメージを持っていますね。 高貴であり、優雅であり、バラといえばヨーロッパのイメージが強くあります。 王族が住んでいた宮殿にも必ずバラはありますし、最近、流行のイングリッシュガーデンでも バラは特別な存在として植えられています。 しかし最近知ったのですが、バラの自生地はヨーロッパではなく 中東から中国にかけての地域で特にモンゴルや中国の内陸に多いそうです。 そして、私はとても意外に感じたのですが、 ここ日本にも何種類ものバラが今でも自生しているというのです。 もちろん、現在よく見る園芸用のバラはかなり長い年月をかけて 品種改良してきたものなので、形がかなり違うことは予想できたのですが それでもいくら想像しても似た植物が日本の山に生えているイメージができませんでした。 しかし、この自生の事実を知ったとき、私の中でずっと解けなかったナゾが1つ解けました。 それは、私の出身地である茨城県の名前の由来に関わるものです。 私は小学生の時に茨城の名前の由来を本で知りました。 茨城の名前の由来は、2つあり 約2千年前、「黒坂命(くろさかのみこと)がイバラで作った城で、 この土地に住んでいた賊を退治した」 という説と 「黒坂命(くろさかのみこと)が、茨城の山に穴を掘り生きていた賊(上記とは別の人とされる)を、彼らが外にいるときに穴に忍び込み、イバラを入れておき、そこに馬で攻めていきそのイバラで退治してしまった」という二つの説がありました。 ((ちなみにこの賊と呼ばれた人々は当時の朝廷に刃向かった既に住んでいた人々を指し、黒坂命は崇神天皇の命を受けて、東日本の統治に来た人物とされています。)) 二つの説のどちらが茨城の由来として使われて来たのかはわかっていません。 私は初めてこの話を知ったとき、 「そうか!バラはトゲがたくさん大昔はあるから武器になったんだ。」と納得しました。 ただ少し冷静になって考えてみると 日本にバラがあるということにどうも違和感があり、本当にこれを由来として話していいのだろうかと思うようになってきたのです。 いくら昔とはいえ、そんなに城が築けるほどのバラが関東地方にあったとは、これまた想像できなかったのです。 なんせバラのイメージはベルバラのような気品溢れるものでしたから。 その疑問が私にはあまりに不可解だったので、このストーリーを知っていながら周りの人には言えずにいたのですが、バラが自生していることを知り今回記事に取り上げてみることにしました。 こららの逸話から、茨城ではシンボルのコンセプトにバラが多く使われています。 茨城の花はバラですし、シンボルマークはバラのつぼみがモチーフにデザインされています。シンボルマークはこちらで見ることができます。(ただ英語版になってしまいます) またJリーグの鹿島アントラーズのチームカラーが赤、(厳密にいうと深紅)なのは、バラの色からきたものです。 ただ、このあたりがバラ=イバラにならない、大きな誤解を呼ぶ結果を招いていたのです。 考えてみると、これらのシンボルが決められたのはここ数十年の話で、逸話当時のバラとは違い、園芸用のバラがモチーフとして使われ普及してきました。 そのうちに、バラが一人歩きし、本来のバラが忘れられていってしまったわけです。 それでは、これらの話に出てきたバラがどのようなものかというと、このようなものなのです。 これではさすがにバラといわれてもわからないのも当然です。 ただ、この植物が確かにバラだというのは、花では茎や葉を見れば確かに納得できます。 茎の画像はこちらから。 このように逸話に登場したバラと、現在のバラはまるで違い。残念な気持ちにさせられたというところはあるのですが、 好きな花の祖先が、自分の出生地の由来に使われていることは嬉しいことだと思います。 バラに由来する地名ですと、海外でもSanta Rosa(聖なるバラ)のようにバラからきている地名もあるので、自分の生まれた土地を説明するにはとてもしやすいと思います。 ただ、茨城を説明するのに、"Rose castle"="バラの城"と説明するのはあまりにイメージにギャップがありすぎてかえって説明に苦労させられそうです。 今年も私の家の庭でたくさんのバラが咲いています。こちらの写真もどうぞ。 参考サイト・・・岡山理科大学 総合情報学部 #
by naomedia
| 2006-05-31 02:25
| カルチャー・エデュケーション
まもなくW杯が開幕しますね。 サッカーのニュースを見ているとき、クロアチアのチームが映ると 私はついユニフォームの赤と白のチェックが気になって仕方がありません。 どこか懐かしさすら与えてくれる少し時代遅れのような印象も受けるのですが、 それ以上にユニフォームには珍しく"かわいい"のです。 まるで子どもが着ているような服のような印象を感じさせられます。 ただ、国旗や国章などからきているデザインのせいか、少し視点を変えてみると 中世ヨーロッパの騎士が来ていた衣装のようにも見え、 たくましさも見えてくるので不思議なものです。 今回は、この不思議な柄が気になったので少し調べてみました。 クロアチアは1991年にユーゴスラヴィアから独立した新しい国ですが、 このチェックの歴史は古く、約10世紀に存在したクロアチア王国の紋章として 使われており、民族の象徴の意味があるそうです。 ちなみに、このチェックには名前があり、「シャホヴニツァ」といいます。 国旗はこのチェックにブルーが加わり3色となりますが、 赤は --- 尊い血の犠牲 白は --- まばゆき輝く光明 青は --- 澄み渡る青空 を意味しています。 (世界のサッカーエンブレム W杯&南米エディション参照) ただ10世紀に生まれたといってもどんな時代なのか、イメージがわかないので、 日本の歴史と照らし合わせてみると 平安時代の中期にあたり、政治では藤原道長、 文化の面では紫式部や清少納言が活躍していた時代です。 この時代に既に紋章が民族の象徴として使用されていたとは すごいことだと感じさせられますが日本でも華やかな十二単などが登場してきたわけですから、日本にも模様があったはずと思い日本の模様を探してみると、 その結果は驚かされるものでした。 まずはこちらのページをご覧になってみて下さい。 なんと、その時代の着物の模様と、クロアチアのチェックに同様のものが存在するのです。 四角以外にも幾何学の図形が連続的に配置されるなど、 クロアチアのチェックが長い間使われているのと同じように現在も使われている模様がこの時代に生まれていたことに気づかされます。 飛鳥時代には、すでに広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像のアルカイックスマイルに見て取れるように古代ギリシャの影響が見て取れる表現が伝わってきていますが、この柄に関しては 他の柄には影響がありませんので偶然生まれたものだと思います。 またこの時代は、大陸との交易も少なく、日本が独自の文化を発展させた国風文化の時代にもあたるからです。 このようにクロアチアのチェックを調べているうちに日本との意外な関係に辿りつきました。 今回はチェックにフォーカスを当ててきましたが、 W杯ではこのチェックにばかり眼がいってしまわないくらい、 日本代表のプレーの輝きに期待したいですね。 参考文献 世界のサッカーエンブレム W杯&南米エディション 斉藤健仁 野辺優子 えい文庫 参考サイト 日本の着物 http://www4.ocn.ne.jp/~isyo/conset.htm #
by naomedia
| 2006-05-27 13:11
| カルチャー・エデュケーション
担任の先生が授業中にしてくれた話で今でも心に残っているものがあります。 それは寝ているときに見る夢の話で、 当時30代前半であった先生が、いまだに自分の家が舞台の夢を見ると 登場してくるのは小学生当時に住んでいた家だというのです。 その家は、小学生の頃に壊してしまい残っていないのに加え、 学生生活や結婚を通して、数件引っ越したにも関わらず 夢に出てくるのは生まれてから育った家ばかりだと言うのです。 当時、小学生だった私はその話を聞いて、なんでそんなに生まれた家にこの先生は 執着心を持っているのかなと不思議になったものです。 私はそのころ生まれ育った家にしか住んだことがなく、 当時から既に古かった自分の家に、特に愛着があったわけでもなければ、 何軒も引っ越すというイメージがもてなかったせいか、話の意味が良くわからなかった思い出があります。 ただ、20代も半ばを迎え、この話の内容が自分にも当てはまるようになってきたのです。 私の生家は古くなったため、高校生の時に建て直しで壊してしまいました。 その間の約1年間を近くのアパートで暮らし、その後新しい実家に4年、 そして大学生活を4年、大学の近くの街で過ごしました。 やはり、話と同じように不思議と夢にでてくるのは、生家のみなのです。 確かに生家には住んでいる期間が他の家の3倍と圧倒的に多いのですが、 他の家はほとんど夢に登場したことがないのです。 大学の4年間、全く別の土地で生活をしていたときも、夢に出てきたのは昔の実家でしたし、 大学時代のアパートは一度も夢に出てきたことがないように思います。 大学生として夢に自分が登場してきても、家が舞台ならば、昔の実家なのです。 すでに、取り壊されてから8年以上の月日が経ち、私の中でも思い出も薄れてしまっていますが夢にでてくる実家はとてもリアルなことに驚かされます。 このリアルさについても、私の先生は話しており、思い出そうとしても思い出せないことが 夢の中ではリアルに登場してきて驚かされるといっておりました。 このように、先生と私が同じような不思議な経験をしてきています。 皆さんも同じような経験をされている方がもしかるすとおられるのではないでしょうか? もし何かエピソードがありましたら、ぜひ聞かせてください。 この話をしてくれた先生は話をしながらこんなことも言ってきた記憶があります。 もし、同じようなことがあるとしたら、きっと今みんなが住んでいる家が 出てくる可能性が高いかもねと。 私はその言葉の通りになりました。 もし、お子さんで小学生がおられるかたは、今住まわれている家が同じようにずっとお子さんの夢に登場して来るのかもしれませんね。 #
by naomedia
| 2006-05-24 01:09
| カルチャー・エデュケーション
つくば美術館のサイトはこちらです。 インゴ・マウラーさんは世界的に活躍しておられる照明のデザイナーで、 "光の詩人"または"光の魔術師"と呼ばれることも多い方です。 今回の展示では、これまで活動を続けてきた40年間を順を追って見ていくことができます。 40年間を4つに区切り、それぞれの時代で登場してきた新しい照明技術に常に挑戦し、 新しい光を探求しようとする姿勢をひしひしと感じさせられました。 美術館に行く前には、彼の照明の持つ独創的なフォルムを写真で見て ぜひ見てみたいと思い、向かったのですが 今回の展示を見た感想として この照明のデザインが素晴らしかったというような、強く印象に残る1つの作品というものは 私のとしてはありませんでした。 それはおそらく世の中に存在する美しいデザインの照明器具というものの多くが こんなシーンを照らし出すためにというニーズの上に 作り出され、そのフォルムから放たれる光をデザインするという発想をしているのに対し、 インゴ・マウラーさんのデザインは、使用シーンを考えたイメージよりも 新しい光を作りだそうとする気持ちが先にあり、 光の放つリズムや色彩など、 「光と出会う」という"経験"を大切にしているという印象を受けたからだと思います。 私はこの印象を"経験"という言葉で表しましたが、 この照明器具自体の持つフォルムよりも、 フォルムを持たない、光そのものを作り出そうとする姿勢が "詩人"と評される所以なのかもしれません。 つくば美術館ではあと約1週間の展示となりますが、 東京では、 東京オペラシティー アートギャラリーで 2006年7月8日~9月18日 大阪では サントリーミュージアム天保山で 2006年10月7日~11月5日 と巡回されるようなので、もし機会がございましたら、 足を運んでみるのも良いのではと思います。 インゴ・マウラー公式サイトはこちらです #
by naomedia
| 2006-05-20 22:43
| アート ・ デザイン
このページを見に来て下さっている皆さんにも見ていただけるように リンクを貼ることにしました。 写真のページはこちらから見ることができます。 また右のmenuのphotographからも見ることができます。 写真を撮るのはあくまで趣味の範囲ですが、 私本人としては、最近まで趣味という意識すらないものでした。 デジカメという記録にコストのかからない、そして 簡単に整理できるツールを手に入れたことで、 デザイナーという仕事ゆえ、きれいだな、面白いなというものに出会いを大切にしようと メモ感覚で写真を撮り始めたのが、始まりです。 メモ感覚で始めた写真ですが、しょっちゅう写真を撮っている私の姿をみた 周りの友人・知人から趣味は写真なんですねと言われるようになりました。 そのように言われるようになってからしばらくの間は、 「いや、ただの記録ですよ」と答えていたのですが、最近ではこれらの 写すこと自体が楽しくなっている自分に気づき 自他共に認める趣味になってきました。 そのような影響もあり、Flickrにアップしてきた写真もメモのようなものから 徐々に自分の好きなものになってきました。 私が大学に入るためにデッサンを学んでいたときからの傾向なのですが、 モチーフとして花に興味があるので、花の割合が多いかと思います。 メモの写真と違い趣味の写真となりますと、コンスタントに写真を撮っているわけではないので、アップするのは不定期ですが、もしよろしければご覧になってください。 (普段からflickrのユーザーの方はわかると思いますが、ちょうど昨日flickrのデザインが変わりましたね!シンプルでよくなったと思います。) #
by naomedia
| 2006-05-18 01:11
| アート ・ デザイン
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